時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

譲位問題-日本国民統合の象徴とは?

 憲法第一条には、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する国民の総意に基づく」とあります。今般、譲位問題において懸念されるのは、新天皇が、国民統合の象徴とはなり得ないリスクです。

 天皇による国民統合とは、如何なる状態を意味するのか、という問いについて、これまで、真剣に議論されたことはなかったかもしれません。日本国憲法が制定されて以来、曖昧なままに時間が過ぎ、昭和天皇崩御により平成の時代を迎えても、殆どの国民は、自然に天皇の代替わりを受け入れてきました。しかしながら、今般の譲位による新天皇の即位は、改めて国民統合の象徴とは何か、という問題を提起しているように思えます。

 統合とは、一般的には、分離している状態にあるものを纏めるという意味で使われる言葉です。日本国民の統合となりますと、天皇を共通の要として、個々の日本人が纏まる状態を意味します。日本国の歴史に根差した天皇の伝統的求心力を以って、個々の日本人が日本国民として纏まる構図として描くことができるのです。戦前の”国民は天皇の赤子”という言い方も、超越した存在である天皇に対して、誰もが平等に国民であることを強調した表現に他なりません。しかも、内面において、全国民が心から天皇を崇敬していなければ、この求心力は働かないのです。

 こうした構図を前提として、日本国憲法が、天皇を国民統合の象徴と定めているとしますと、天皇において、何らかの”偏り”や”不徳”があってはならない、ということになります。何故ならば、天皇に偏りや倫理に反する行為があれば、民心が離れ、統合の役割をもはや果たせなくなるからです。

 この点、最も懸念されるのが、皇太子の婚姻であり、先日、創価天皇という言葉で表現しましたように、一部の私的勢力が皇室を乗っ取る形で天皇を擁立し、かつ、新天皇も、国民より自分を優先するとなりますと、国民を統合する求心力は急速に失われます。言い換えますと、国民統合ではなく、国民分離の方向に逆作用してしまうのです。憲法が定めた国民統合の象徴とはなり得ない天皇の誕生を、国民は、どのように考えるべきなのでしょうか。

 仮に、皇室の人々もまた人間であり、人徳における完璧性や神聖性を要求することができず、そもそも、人に統合の象徴を求めることは人間社会には無理な制度であるならば、憲法改正を含め、制度の抜本的な見直しも必要となります。そして、 ”時、既に遅し”の状態であるならば、選択肢として、別の形での国民統合をも模索しておくことは、リスク管理の点からも、頭から否定はできないように思えるのです。

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