時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

スラム文化のグローバル化問題

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。先祖伝来のユダヤ人は、衛生状態の維持に腐心する人々でありました。肉類は血液を抜いてから調理するなどといった宗教的忌避としての特殊な調理方法なども、衛生問題に起因しています。おそらくその理由は、先祖伝来のユダヤ人の先祖たちが、世界で初めて上下水道を完備した都市を建設したシュメール人であることに関連すると考えることができます。
 
シュメール人たちは、上下水道を発明し、自らが居住する空間の衛生状態に気を配っただけではなく、整然とした街路を計画し、ジックラトや空中庭園を建設するなど壮麗な景観を整え、しかも、人々が快適な生活を営めるよう都市設計した点におきましても、人類初の文明人でした。今日におきましても、衛生的で快適、しかも美しい街並みの都市は、人類の理想的居住空間の一つであると考える人々は多いはずです。
 
こうした古代都市と比較して、現在の都市はどうでしょうか。今日の都市の多くは、ストリート・アートとも称される”落書き”で溢れ、雑然とした雰囲気に満ちています。戦後の日本の都市景観もお世辞にも美しいとは言えません。それでは、何故、全世界で同時に退廃的な都市景観が広がったのでしょうか。

その理由を探ってみると、ユダヤ人居住区やゲットーに行き着くことがきるように思えます。ユダヤ人居住区は、隠れイスラム教徒、モンゴル系の人々、ハザール系ユダヤ人、そして、イエズス会と繋がる様々な民族を出自に持つ人々が流入してくるようになりますと、その居住区内のスラム化が起こっております。その多くは定住を常とする農耕民族ではなく、遊牧系の”流浪の民”であったのでしょうが、近くは東欧や中東、遠くはアジアやアフリカ等からも移住してきた人々にとっては、整然とした都市文化には馴染が薄かったのでしょう。
 
こうしてゲットーの内部に、文明と野蛮が雑多に混じった多文化融合のスラム文化が‘醸成’されるようになると、その文化に慣れ親しんできた人々は、ゲットー消滅後におきましても、文化的アイデンティティーを捨てきれなかったのかもしれません。逆に言いますと、整然とした居住空間を好まず、スラム文化の”グローバル化”を目指したとしても不思議ではないのです。’ネオ・ユダヤ人’は、世界大にネットワークを組織化しておりますし、マスコミも掌握しておりますので、スラム文化の拡散は然程に困難な作業ではなかったはずです。
 
1970年代の奇妙なヒッピー文化、ストリート・アート、サブカルチャーノマドの礼賛…など、全世界的に同時に発生した雑然とした奇妙な文化の流行は偶然の一致ではなく、‘ネオ・ユダヤ人’たちが、マスコミやメディア、そして、その親派の人々を使って、意図的・計画的に流行らせているのではないでしょうか。かくして、スラム文化のグローバル化は全世界の固有の文化にとりましては消滅の危機となり、人々から警戒されるに至ったのではないかと思うのです。

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(続く)