時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

3人の「ジョン・ブラウン」の背景にロスチャイルド家?

  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。先日、ヴィクトリア時代に「ジョン・ブラウンJohnBROWN」という同じ名を持つ3人のジョン・ブラウン、すなわち、①アルバート公亡き後ヴィクトリア女王の事実上の皇配となったジョン・ブラウン、②李朝の財政権を掌握したジョン・マクレヴィ・ブラウンJohn McLeavy BROWN、そして、③米国で黒人解放運動をテロ化させたジョン・ブラウンの3人が登場することを指摘いたしました。仮に、「黒いユダヤ人」の組織が、これらの3人の「ジョン・ブラウン」の登場に関わっているといたしますと、3者には、そのことを示す何らかの共通点があるはずです。
 
まず、ロスチャイルド家との関連を指摘することができるかもしれません。ヴィクトリア女王の事実上の父系はロスチャイルド家であると考えられますので、第一のジョン・ブラウンは、もとよりロスチャイルド家の支援を受けていたと推測することができます。8月7日付本ブログにて述べましたように、ジョン・マクレヴィ・ブラウン氏も、李朝の税関長兼財政顧問官ですので、ロスチャイルド家の意向を受けて、李朝の財政を管理していた可能性を指摘することができます。そして、第3の米国のジョン・ブラウンについても、Wikipediaは以下のように述べております。
 
「ニューヨークの「トリビューン」誌が報告しているように、ブラウンは1855年にニューヨーク州オールバニで開催された反奴隷制度会議に参加するために、この途次で立ち寄った。自由州側のために暴力的な行動の支持について会議の場で起きた議論にも拘わらず、数人がブラウンに財政的な援助を申し出た」
 
第三のジョン・ブラウンも、ロスチャイルド家の支援を受けていた可能性を指摘することができます(「トリビューン紙」は、‘ユダヤ系’新聞社)。支援者の意向を受けてテロ・暴力活動を展開する場所として、イエズス会のフランシスコ派の影響力の強いカンザス州を選んだとも考えることができます。カンザス州で起こったブラウンによる虐殺事件、「ポタワトミーの虐殺」として知られる事件は18565月のことであり、支援を受けた1年後のことであることも、このような推測を補います。
 
元の家名がモンゴル系の出自であることを示す「カン(Khan)」であったロスチャイルド家は、モンゴル系であることを強く意識しており、当時、世界におきまして、モンゴル色が特に色濃く残っている朝鮮半島を気に入り、「Khanate」、すなわち、「カンの国」と成すことを計画していた可能性につきましては、本年8月7日付本ブログで述べました。憶測の域は出ませんが、州名がモンゴロイドのインディアンであるカンザ族に由来するカンザス州も、モンゴル色が色濃く残っている地域であり、しかも、「カンザ」という族名が、「カン(Khan)」に近かったことから、この地も気に入っていたロスチャイルド家は、カンザス州も、「Khanate」、すなわち、「カンの州」と成すことを計画していたのかもしれません。
 
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(続く)