時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ザビエルは『モーゼの十戒』を嫌悪していた

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。「白いユダヤ人」と「黒いユダヤ人」との間の争点が『モーゼの十戒the Ten Commandments of Moses』である理由は、十戒の大部分が、禁止事項であり、何を禁止しているのかと言いますと、‘他者の基本的権利を侵害する自己中心的行為’であるところにあります。
 
殺人、窃盗、姦淫、偽証などは、すべて‘他者の基本的権利を侵害する自己中心的行為’であり、何ら落度の無い無実の人々が、命や財産を奪われたりする結果をもたらすような行為です。このような行為は、人間社会におきまして、治安の悪化と社会の協調性を乱すため、通常は、普遍的に忌み嫌われる行為であると言えるでしょう。
 
この普遍性は、イスラム教でも同じであり、『コーラン』は、窃盗を働いた人の右手は切り落とされるべきであるとする、より厳しい刑罰まで定めております。ところが、『モーゼの十戒the Ten Commandments of Moses』の遵守を中心としたユダヤ教の曲解から、十戒を軽視・軽蔑するバビロニアユダヤ教が派生いたしましたように、イスラム教でも、このような普遍的禁止事項を軽視・軽蔑する宗派が派生したようです。どのような悪事を働いても、一生に一度、聖地メッカに巡礼すれば、その罪が消滅するとする教えを説く宗派が登場するに至り、イスラム教も分裂していったと言うことができます。
 
昨日、本ブログにて扱いましたように、イエズス会(フランシスコ派)のフランシスコ・ザビエルは、インドのゴアにてポルトガル王に宛てて「インドで必要とする第二のことは、こちらで生活している人たちが善良な信者となるために、陛下が宗教裁判所を設置してくださることです。こちらではモイゼの律法に従って生活する〔ユダヤ教徒〕やまたイスラム教の宗派に属している者たちが、神への怖れや世間への恥じらいなしに平然と生活しております(頁69)」と書き送り、『モーゼの十戒』を守っているユダヤ教徒(白いユダヤ人)を軽蔑し、異端審問所を設置して火炙りの刑に処すことを提言しております。この手紙に登場する「イスラム教の宗派」とは、普遍的禁止事項を遵守するイスラム教の宗派のことであると考えられ、ザビエルは、普遍的禁止事項を遵守するユダヤ教徒イスラム教徒に対して、特に、鋭い敵意を向けていたことになります。
 
ザビエルは、その死後、何故か、ローマ法王によって遺体を掘り返され、あたかもイスラム教の刑罰に準じるかのように、その右手が切断されたと言います。その理由は、ローマ法王が、ザビエルの普遍的禁止事項を軽視、軽蔑する姿勢を問題視したことにあると推測することができるのではないでしょうか。

 
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(続く)