時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イエズス会の“ロヨラ頭”問題

 本日も、古代史・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。大航海時代の始まった16世紀末より、東アジアには、奇妙な髪形が瞬く間に広がります。それは、後頭部の頭髪を残しながら額から頭髪の真ん中にかけて剃る髪型です。
 
「さかやき」と称されておりますが、日本では、ひたいから頭の中央にかけて頭髪を剃り、後頭部の頭髪で「ちょんまげ」を結う髪型が、武士階級のシンボルとされました。武士であって、この髪型を拒む者は、幕府によって罰せられました。
 
中国大陸では、女真族清王朝の成立にともない、「辮髪」と称される額のから頭の中央にかけて頭髪を剃り、後頭部の頭髪で「みつあみ」を結う髪型が、一般民衆にまで強制されることになり、清朝の役人は、「頭を採るか、命を採るか」と脅して辮髪を強要したと言います。
 
かくて、東アジアには、額から頭の中央にかけての頭髪が無く、後頭部に残った髪で髷やみつあみを結うという似た髪形が蔓延するようになったのです。
 
さて、イエズス会創始者であるイグナティウス・ロヨラを描いた多くの肖像画は、ロヨラの額から頭の中央にかけての頭髪がなかったことを示しております。少なからず頭の中央に頭髪が無いのは、洋の東西を問わすに僧侶の髪型であり、イエズス会士も、このような髪型なのですが、額の髪も無いことは、ロヨラが禿げであったことを示しております。すなわち、16世紀以降において、東アジアに広がった髪型は“ロヨラ頭”なのです。
 
イエズス会が、陰に陽に戦国時代の日本に大きな影響を及ぼし、清朝とも密接な関係にあったことを踏まえますと、ロヨラは、東アジアにおける“闇の支配者”として、自らのコンプレックスの源泉である髪型を東アジアの人々に強要したのではないか、と推測することもできます。そして、一事が万事であり、“ロヨラ頭”は、他者の権利や自由の廃除・非尊重というルサンチマンに立脚したイエズス会の支配体質を示していると言うことができるでしょう(現在であれば、本人が鬘を被るか植毛すればすむ)。
 
遠い昔のお話しのように聞こえるかもしれませんが、日産ゴーン事件においてカルロス・ゴーン容疑者とともに逮捕されたグレッグ・ケリー容疑者が、米国シカゴ市に所在するロヨラ大学の出身であることは、気にかかります。

 
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(続く)