時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イルミナティーによる“皇后”の「黒マリア」化問題

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。明治維新という「イルミナティー革命(「黒いユダヤ人」系の最下層民を王や天皇に据える秘かなる易姓革命)」以降、代替わり毎に非文明化・動物化・家畜化が進められているようです。本日は、“天皇”の配偶者問題について扱います。
 
大正天皇后の貞明皇后とされる九条節子は、農家に預けられて育ったとされており、幼少時代、野山を走り回る野生的な少女でありました。それゆえに宮内省宮内庁)によって皇后に冊立されたそうです。すなわち、宮内省宮内庁)の所謂“お妃選び”の基準は、如何に野生的であるのか、という点にあったようです。
 
また、九条節子が「黒姫」というあだ名を有していたように、黒褐色・褐色の肌色も“お妃選び”の基準であったのかもしれません。イエズス会(フランシスコ派)は、アフリカ大陸やアジア地域の非文明世界の女性を「黒マリア」として信仰しておりましたので、日本の皇后には、「黒マリア」の条件に適う人物を探すことにしたのでしょう。フランシスコ・ザビエルは、日本に上陸した際に、聖母マリアに日本国を捧げると述べたそうです。密かに「黒マリア」を信仰するイエズス会(フランシスコ派)の云う「聖母マリア」とは、実のところは「黒マリア」であったと考えることができるのです。イエズス会(フランシスコ派)は、「黒マリア」に日本国を捧げたつもりになっており、「黒マリア」=皇后という構図を通して、日本国を非文明化・動物化・家畜化させようとしているのかもしれません。
 
憶測の域は出ませんが、照憲皇后と貞明皇后も、「チーム明治天皇」と同様に、東南アジアや朝鮮地域から密入国させた女性たちであったのかもしれません。明治天皇自身が、皇統をひかない「チーム明治天皇」ですので、その内部事情を外部に漏れないようにするには、所謂“仲間内”で、“皇室”の人事を配する必要があったと推測することができるからです。照憲皇后は極端に背の低いことから、フィリピンなどにあったポリネシア系の部族出身であるとも考えられます(ヴィクトリア女王にも、照憲皇后レベルに背が低いという特徴があります)。
 
平安時代、定子や璋子が才媛才女を集めましたように、古来、朝廷に必要とされる女性は、高い教養と深い学識を持つ女性でありました。朝廷文化は、こうした女性たちの存在によって維持されてきたからです。また、古代・中世の皇族の肌の色が白かったことは、絵巻などにおきまして、皇族の肌色はできるだけ白く描くことが慣例となっていたことによって推し量ることができます。舎人親王の子孫である清少納言の『枕草子』の内容から、皇別氏族である清少納言の肌の色は白かったことがわかっていることも、こうした推測を補います。ところが、明治維新によって、こうした基準は“如何に野生的であるのか”、“如何に肌の色が濃いか”に変更されたわけです。
 
明治以降の“皇室”が所謂“偽皇室”であるがゆえに発生した“皇后”の「黒マリア」化問題は、特に、新天皇徳仁氏と小和田雅子さんが、イルミナティーの下部組織と推測される統一教会創価学会と密接な関係にあることにおいて、深刻であると言えるかもしれません。「黒マリア信仰」とは、非文明世界の女性の気まぐれで、自己中心的な命令に盲目的に従う全体主義的カルト思想です(仮に、噂の通りに、小和田雅子さんの実父が池田(朝鮮名、成大作ソン・テソク)氏であれば、創価学会員は秘かに小和田雅子さんを創価学会のトップにも据え、盲目的な忠誠を誓って、日本国の破壊活動を行う可能性があります)。


統一教会員や創価学会員などを動員、すなわち、所謂“さくら部隊”として使い、イルミナティーは、令和の時代に、“皇后”の黒マリア化を強化することで、日本国の非文明化・動物化・家畜化計画をさらに進めようとしていると推測することができるのです。



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(続く)