時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

配給制による人類の家畜化問題

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。本ブログにおきまして、イルミナティーが人類を非文明化・動物化・家畜化しようとしている点を再三にわたり指摘しておりますが、非文明化や動物化はイメージできても、“家畜化”につきましては、どのような状態であるのかピンとこない人も多いのではないでしょうか。そこで、本日は、昨日、本ブログにて扱いました配給制こそが、イルミナティーによる人類の家畜化の最たる作戦である問題を扱います。
 
イルミナティーが、戦時体制を好む理由は、非常事態の戦時体制であることを理由に、経済を統制し、配給制を敷くことができることにあります。そして、配給制をより永続的に維持させるために考案されたのが、共産・社会主義体制であると言えるかもしれません。昨日、指摘いたしましたように、第二次世界大戦直後に、全世界で共産・社会主義化の動きがあったのも、配給制の維持がその真の目的であったとも推測することができるのです。
 
古代ローマの無産市民(プロレタリアート)のように働かなくとも、最低限の食料品や日用品が配給によって保障されるわけですので、配給制の方がよいと考える人もあるかもしれませんが、配給制とは、一切の経済的自由が無いことを意味いたします。例えば、お洋服の一つをとりましても、人それぞれ好みがあり、普通の社会では、多くのお洋服のなかから、最も気に入ったデザイン、柄、御色目のお洋服を選んで購入することになるわけですが、配給制の場合は、必要最低限の食料と日用品しか配給されないわけですので、選択の自由が無いことになってしまうのです。中国共産党政権による鼠色の人民服がその典型であると言えるでしょう。
 
かくて、人々は、ソ連邦時代のロシアのように、一日の大半を配給の列に並ぶことに費やされ、最低限の生活しか送れないようコントロールされることとなり、実質的に、一切の奢侈品の所持や文化活動も禁止されることとなるのです。同じ服を着た人間が、無味乾燥の最低限の生活をしている姿は、まさに、人類の非文明化・動物化・家畜化が達成された姿であると言えるでしょう。その一方で、国民には人民服を配給しながら、自らは、専用シアター付の宮殿に住んでいた毛沢東夫妻の例に示されますように、イルミナティーのメンバーは、“餌”を配る側の国家権力の中枢にあり続け、闇社会との繋がりによって「大金持ち」となることになります。
 
すなわち、ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いたような自由の無い世界は、まさに配給制によってもたらされることになるのです。イルミナティーのお気に入りである北朝鮮の経済が、基本的に配給制であることは、いかにイルミナティーが配給制を重視しているかを示していると言えるでしょう。“配給制をつくって、家畜(人)に餌を播きたい”というイルミナティーの発想と計画は、イルミナティーが、如何に“人の上に立ちたい”、“人の主人となって人を支配したい”という欲望の強い人々であるのかをも示しているのではないでしょうか。

 
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(続く)