「国際イルミナティー軍」と「イルミナティーの核」の問題
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。イルミナティーのように、人類の非文明化・動物化・家畜化を目的に活動する“陰謀団”がありますと、まずもって、平和のための“パワーバランス論”を唱えて2大陣営による軍事力の均衡状態をつくらせ、その後に、戦争を勃発させるという作戦を採る可能性があることを昨日指摘いたしました。
軍事力が均衡しているわけですので、第一次世界大戦の西部戦線のように戦争は膠着状態となって長期化し、両陣営に甚大な被害が齎され、“陰謀団”の目的が達成されてしまうことになるのですが、読者の皆様の中には、「東西両陣営の持つ核の核抑止力を以って第二次世界大戦後の平和は保たれたのではないか」という“パワーバランス論”にもとづいた反対意見をお持ちの方々もおられるかもしれません。
このような反対意見をめぐりましては、昨今、米国の前オバマ大統領やICANのように、イルミナティー系と推測される個人や団体が、核兵器廃止運動を活発に展開している点が注目されます。このような動きは、イルミナティーが、核兵器は抑止力を持つが故にむしろ邪魔であり、“核無き世界”の方が、目的を達成するのに都合がよいと考えている可能性を示唆しております。
『シオンの議定書Protocol of Zion』から、そもそも、イルミナティーの世界支配計画は、イルミナティーが軍隊を持つことによって可能となる計画であることがわかります。すなわち、世界各国の軍隊を事実上、イルミナティーの傘下に置くという作戦が遂行されてきたようなのです。軍の属する国籍は各々違っても、裏では、すべて、「国際イルミナティー軍」ということになるのでしょう。
例えば、日本の場合は、明治時代には、日本軍は、『大日本帝国憲法』や「軍人勅諭」などを通しまして、「チーム明治天皇」の軍隊となり、実質的には「チーム明治天皇」の背後にあるイルミナティーによってコントロールされる“国際イルミナティー軍”となっていたと推測することができます。各国の軍隊が“国際イルミナティー軍”となるような状況下におきまして、イルミナティーは戦争やクーデターを起こすことができ、世界を支配することができると考えていたのでしょう。
ところが、核兵器が開発されると、計画案は変更を余儀なくされたと推測することができます。戦争の勝敗が核兵器に左右されるようになったからです。本土決戦があり得たなかで、広島と長崎に落とされた原子爆弾が、第二次世界大戦の終結に決定的な役割を果たしたことが示しますように、核兵器の攻撃力と数が問題となる時代となったのです。極端に言いますと、精巧に製造された核兵器があれば、軍隊はいらないということになります。
従いまして、戦後、イルミナティーは、兵士よりも核兵器などのロケット兵器を支配しなければならなくなったわけです。「イルミナティーの軍隊」ではなく、「イルミナティーの核」が必要となったはずなのです。しかしながら、核兵器のボタンはシビリアン・コントロールのもとにあり、必ずしも「イルミナティー軍」のコントロール下にあるわけではありませんし、社会の複雑化や情報公開によって、各国の軍隊が、都合良く「イルミナティー軍」となってくれるわけでもありません(軍内部の二分化もありえます)。また、核による被害は、人類に人類の非文明化・動物化・家畜化をもたらすのではなく、イルミナティーのメンバー自身も含む全人類の滅亡をもたらす可能性があります。さらに、イルミナティーは、暴力主義や野蛮で野性的なメンタリティーを好みますので、核兵器優位のもとでの兵隊の必要性の低下にもとづく軍事訓練の縮小は、好ましくなかったとも言えるでしょう(マッチョな兵士よりも、より高度な軍事技術を開発する青白き科学者が、戦争の勝敗を決める時代は、暴力主義のイルミナティーにとって都合が悪い)。
このことから、イルミナティーは、“核無き世界”の方が、人類の非文明化・動物化・家畜化といった目的を達成するのに都合がよい考えるようになっていると推測することができ、オバマ前大統領やICANのノーベル平和賞の受賞、そして、昨今、我が国でも徴兵制の導入が唱えられるようになっていることも、こうした計画の一環であると考えることができるのです。
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(続く)