時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ラフガディオ・ハーンはイエズス会フランシスコ派と悪魔崇拝との関係を知っていた?

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。一昨日の本ブログにて、「芥川龍之介の短編小説に「煙草と悪魔」という作品があり、「悪魔なるものは、天主教の伴天連か(恐らくは、フランシス上人)がはるばる日本へつれて来たさうである」という一文が見えます。そして、芥川は、その最後に「それから、ついでに、悪魔のなり行きを、簡単に、書いて置こう…或記録によると、彼は、南蛮寺の建立前後、京都にも、屡々出没したさうである。松永弾正を翻弄した例の果心居士と云う男は、この悪魔だと云う説もあるが、これはラフガディオ・ヘルン先生が書いゐるから、ここには、御免を蒙る事にしよう」とも書いております」と述べました。
 
ラフガディオ・ハーン(小泉八雲)の『日本雑記』には、『果心居士の話』があり、果心居士が絵の中から船を呼び出し、船に乗り込むとそのまま絵の中に消えていったというお話があるようです。Wikipedia(日本語版)によりますと、果心居士(かしんこじ、生没年不詳)とは、室町時代末期に登場し、筑後の出身で、大和の興福寺に僧籍を置いていたとされる幻術師であり、織田信長豊臣秀吉明智光秀松永久秀らの前で幻術を披露したと記録されているそうです。また、松永久秀とは特に親交があり、久秀が「幾度も戦場の修羅場をかいくぐってきた自分に恐ろしい思いをさせることができるか」と挑んだところ、数年前に死んだ久秀の妻の幻影を出現させ、震え上がらせたとも伝わるそうです。では、ラフガディオ・ハーンは、なぜ、果心居士がイエズス会フランシスコ派について日本にやってきた悪魔の化身であると書いたのでしょうか。
 
そこで、ハーンの来歴を調べて見ますと、Wikipedia(英語版)に以下の記述を見つけました。
 
「1861年に、ハーンがカトリックから離れようとしていることに気付いたハーンの叔母は、彼女の亡き夫の親戚であり、ハーンの遠い従兄弟にあたるヘンリー・ハーン・モーレノーの強い勧めもあって、ハーンをフランスのイヴィットにあるカトリック系の学校、エクレシアステク・インスティテュートに入学させました。そこでの経験は、「カトリック教育は、型にはまった退屈さ、陰湿、汚れた禁欲生活、仏頂面、イエズス会主義、そして、悪名高い子供の洗脳から成り立っている」という信念を長い間ハーンに懐かせるものとなりました。In 1861, Hearn's aunt, aware that Hearn was turning away from Catholicism,and at the urging of Henry Hearn Molyneux, a relative of her late husband and adistant cousin of Hearn, enrolled him at the Institution Ecclésiastique, aCatholic church school in Yvetot, France. Hearn's experiences at the schoolconfirmed his lifelong conviction that Catholic education consisted of"conventional dreariness and ugliness and dirty austerities and long facesand Jesuitry and infamous distortion of children's brains.
 
この記述から、ハーンがイエズス会系のカトリックの学校で教育を受けていたことがわかります。おそらくハーンは、イエズス会の学校にて、戦国時代の日本におけるイエズス会フランシスコ派の活動内容につきまして知る機会があったのではないでしょうか。すなわち、果心居士とは、イエズス会フランシスコ派の会士のことであり、ハーンは、日本でのその暗躍を、果心居士の幻術に喩えたのかもしれません。このように考えますと、「絵の中から船を呼び出し、船に乗り込むとそのまま絵の中に消えていった」果心居士は、日本での暗躍を終えて、秘かに海外逃亡するイエズス会フランシスコ派の会士の姿に見えてくるのではないでしょうか。

 
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(続く)