時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

戦国時代以降の朝廷はイエズス会フランシスコ派?

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。思想と宗教を異にするフリーメイソンイルミナティーという2つの国際秘密結社が、それぞれ「フリーメイソンのメンバー」と「フリーメイソンのメンバー兼イルミナティーのメンバー」という形で明治維新に関わっていた可能性につきまして、本ブログにて指摘しておりますが、「チーム明治天皇」との関わりにおきましては、特に、「フリーメイソンのメンバー兼イルミナティーのメンバー」の動きが気になるところとなるでしょう。明治維新において行われた皇統の断絶と「チーム明治天皇」の創設は、我が国の近現代史と深くかかわり、今日の謎多き“皇室”問題の原点であるとも言うことができるからです。
 
そこで、まずもって、イエズス会フランシスコ派と朝廷との関係が注目されます。イルミナティーとは、イエズス会フランシスコ派とロスチャイルド家によってつくられた秘密結社ですが、そのイエズス会フランシスコ派は、フランシスコ・ザビエルの来日をもって、戦国時代に既に日本に展開しており、イエズス会の南蛮寺が本能寺に隣接していたことはよく知られております。徳川幕府キリスト教を禁教といたしますが、ザビエルなどのイエズス会フランシスコ派がつくった同派の在日組織は、隠れキリシタン潜伏キリシタンとして江戸時代を通して存続したことに加えて、朝廷内部にもイエズス会フランシスコ派が影響を残していた可能性があるのです。
 
本ブログにて、2018年5月27日に、「幕末に薩摩と長州を繋いだ「裏イエズス会」」と題しまして、以下のような記事をアップロードいたしました。
 
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本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ザビエルが日本国内に「裏イエズス会」とも称すべき国際組織を組織し、江戸時代を通してその組織が存続していたことは、倒幕の中心となった薩摩藩の鹿児島と長州藩の山口のいずれもが、以下の理由から、日本において布教活動を行った宣教師たちのなかでも、特に、ザビエルとの関連の深い土地柄であることによって、示唆されてきます。
 
その理由は、鹿児島と山口の両地域に滞在し、布教活動を行ったのが、ザビエル、並びにザビエルに随行していたコスメ・デ・トーレスCosme de Torres, 1510 - 1570102日)とフアン・フェルナンデス(スペイン語: Juan Fernández 1526年? - 1567626日)だけであることです。
 

イタリア人宣教師のニェッキ・ソルディ・オルガンティノ(Organtino GnecchiSoldo/ GnecchiSoldi, 1533 - 1609422日)は、天草志岐上陸し、同じくイタリア人宣教師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノ(AlessandroValignano / Valignani1539215 - 1606120日)は、長崎県南島原口之津港(くちのつこう)に上陸しており、その布教活動において鹿児島や山口は関係がありません。

 

ポルトガル人宣教師のルイス・フロイス(葡: LuísFróis [luˈiʃ frɔjʃ]1532 - 159778日(慶長2524日))は横瀬浦(現在の長崎県西海市北部の港)に上陸し、同じくポルトガル人宣教師のガスパル・ヴィレラ(Gaspar Vilela、 大永5年(1525年)? - 元亀3年(1572年))は、イエズス会インド副管区長ヌーネス・バレト(João Nunes Barreto)とともに豊後府内(現大分県大分市)に上陸しており、その布教活動において、鹿児島や山口は関係がないのです。

 
では、イエズス会における日本での布教の第一陣とも言えるザビエルたちには、どのような特徴があるのかと言いますと、フェルナンデスは、スペイン・コルドバ出身であることは注目されます。ゴルドバは、イスラム教国の後ウマイヤ朝の首都であった場所であり、フェルナンデスには、イスラム教との繋がりが示唆されるのです。トーレスをめぐりましては、トーレスに感化されてイエズス会に入会し、山口にて布教活動を行ったルイス・デ・アルメイダLuís de Almeida 1525? - 158310月)という人物の背景には、注目する必要があるかもしれません。アルメイダは、元は商人であり、1525年ごろリスボンユダヤ教からカトリックに改宗したコンベルソの家庭に生まれております。
 
すなわち、ザビエルの周辺には、イスラム勢力とユダヤ勢力の存在が見え隠れしている、と言うことができるのです。そして、本ブログにおきまして、再三にわたって指摘しておりますように、幕末史を動かし、世界支配を狙って今日でも世界情勢に大きな影響を与えている世界支配志向勢力は、まさに、「裏イエズス会」の流れを引く親イスラム、親ユダヤ勢力です。幕末において倒幕活動に動きだしたのが、薩摩藩の鹿児島と長州藩の山口であることは、両地域が特にザビエルとの関連が深い点を考えますと、偶然では無いのではないでしょうか。すなわち、薩摩と長州を繋いだのが、「裏イエズス会」であるということになります。
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戦国時代に来日したイエズス会が2分しており、ザビエルなどのフランシスコ派とヴァリニャーノ、フロイス、ヴィレラなどの反フランシスコ派に分かれていたのです。そして、1565(永禄8)年に松永久秀らが、朝廷からの勅許を得て天主堂を破壊し、フロイスとヴィレラ放逐している点は注目されます。すなわち、朝廷はフランシスコ派の影響下にあり、松永らが反フランシスコ派を追放することに協力していた可能性があるのです。
 
芥川龍之介の短編小説に「煙草と悪魔」という作品があり、「悪魔なるものは、天主教の伴天連か(恐らくは、フランシス上人)がはるばる日本へつれて来たさうである」という一文が見えます。そして、芥川は、その最後に「それから、ついでに、悪魔のなり行きを、簡単に、書いて置こう…或記録によると、彼は、南蛮寺の建立前後、京都にも、屡々出没したさうである。松永弾正を翻弄した例の果心居士と云う男は、この悪魔だと云う説もあるが、これはラフガディオ・ヘルン先生が書いゐるから、ここには、御免を蒙る事にしよう」とも書いております。
 

仮に、或記録が、本当であるのならば、イエズス会フランシスコ派と松永は極めて近い関係にあったことになり、松永に協力して反フランシスコ派の宣教師たちを追放した朝廷もイエズス会フランシスコ派と近い関係にあったことになります。イエズス会フランシスコ派がイルミナティーの中心勢力であることを踏まえますと、「チーム明治天皇」や明治維新の解明をにあたりましては、まずもって、16世紀、戦国時代から、既に朝廷がイエズス会フランシスコ派と近い関係にあったという点が、重要であると考えることができるのです。


 

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(続く)