時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

独裁体制は国をだめにする

 国際社会において深刻な問題を起こす国には、独裁体制という共通項があります。アジアでは、国民弾圧を行ったミャンマーの軍事政権、核問題や拉致事件を起こしている北朝鮮金正日体制、そうして中央には、独裁国家の親玉とでもいうべき中国の一党独裁が腰をおろしています。

 こうした事実を前にしては、誰も、独裁を擁護できないのですが(独裁利権を持つ人と洗脳された人々は除いて…)、それでも、21世紀を迎えた今日にあっても、独裁体制は、まだ地球上から姿を消していません。しかしながら、学問においては、かなり明確に独裁を論理的に否定することができます。例えば、1)権力継承の安定性、2)時代への対応性、3)役割分担に基づく分権制、4)国民からの信頼性、5)腐敗防止システム、6)行政・司法の中立・公平性…などが欠如しており、独裁体制が、現代国家にマッチしていないことは明白なことなのです。

 明治時代、日本国では、S.スマイルズの『西国立志編(Self-Help)』が盛んに読まれ、個々の国民の力を伸ばすことが、近代国家としての日本を築く礎になると考えたものです。独裁とは、個々の国民の力を殺ぐ体制に他ならず、独裁国家の指導者は、真の国家の力と強さとは、何を源泉としているものなのか、良く考えてみる必要があると思うのです。