時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

亀田一家批判は日本国民の健全性の証

 ボクシングのフライ級タイトルマッチにおいて違反行為を繰り返した亀田一家に対する批判が、連日、新聞やテレビ等で大きく報道されています。この現象は、一面において、日本国民のルールに対する健全な意識を顕しているとも言えます。

 もし、ルール違反が当たり前であり、勝つためには何をしても許されるという風潮が蔓延している国であれば、こうした轟々たる批判は起きなかったことでしょう。しかしながら、日本国民の多くは、ルール違反や不正行為までして勝とうとする亀田選手の態度に対して、強い義憤と怒りを感じたのです。何事もなかったように見過ごされることなく、社会現象としてバッシングが起きたことは、それだけ日本社会が健全性を保っている証拠でもあるのです。違法や不正を厭う国民の意識こそ、政治や社会を腐敗から守る基盤となるのですから。

 当分の間、このバッシングの嵐は収まりそうにもありませんが、日本国民の心の中に、違反や不正を憎み、フェアプレイを求める精神が息づいていることに、しばし、安心したのでした。