時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

京都議定書方式が日本国を苦しめる理由

 京都議定書方式が必ずしもフェアではないことは、環境派の方々にとりましては、取るに足りないことなのかもしれません。しかしながら、どう見ましても、この方式が、日本国を苦しめることは否定しがたい事実なのです。

 第一に、日本国は、アジアで唯一、排出削減義務を負っている国であることです。中国をはじめ、ODA加盟国である韓国でさえ、削減義務がありません。EUが、国単位ではなく、中東欧の新規加盟国を含めて削減目標を達成すればよいことを考えますと、日本国が不利であることは明白です。

 第二に、これはよく言われていることですが、70年代の石油ショック以来、日本国は、既にエネルギー効率の改善に取り組んでおり、他の諸国よりも改善の余地が狭いことです。既に、スタート時点において、日本国は不利な状況にあります。

 第三に、排出規制は、工業国へのペナルティーとなることです。資源を外国から輸入して、それを付加価値の高い製品に仕上げることで経済を成り立たせている日本国にとりまして、排出規制は、生産規制と排出権取引を通した富の移転を意味してしまうのです。つまり、同一の政策であっても、ある国には有利に、また、ある国には不利にと、まったく正反対に作用してしまうことになります。

 さて、日本国は、こうした不利な点を全て飲み込んで、京都議定書方式を、今後も維持するべきなのでしょうか。他によりフェアで無理のない方法があるならば、不利なシステムを維持するよりも、他の方法に切り替えた方がよいように思うのです。しかしながら、日本国が、他の諸国を説得できるほどの対外的な交渉力を備えていないことは、まことに残念なことです。