時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

格差是正より公平な評価を

 現在、”格差是正”は、どの政党も、国民の注目を集めるため政治的なスローガンとして掲げています。しかしながら、”格差”の対象を限定した上で、是正手法を慎重に検討しませんと、個々人の顔がない”均質化社会”を招いてしまうと思うのです。

 そもそも、格差是正を全ての領域に求めるとしますと、これは、全ての人々が均質化するまで、永遠に是正措置を続けてゆくことになります。”格差是正”を使命とする政府は、どんな小さな違いをも見逃してくれそうにありません。しかも、格差なき社会の実現のためには、個々の個性や事情をローラーで平らにならすための、強大なる国家権力を要するのです。出来上がった社会とは、個性が圧殺された平坦な均質社会であり(全体主義国家)、自由が息づく多様性や相互に相手を認めるような寛容が生き残る余地はありません。こうした状態では、国民が幸福とは思われませんので、”格差”を言う場合には、まず、何の格差なのかを限定しなくてはならないと思うのです。

 それでは、現在、政治的課題とすべき”格差”とは、所得格差なのでしょうか。所得にしましても、それが、努力や労力、あるいは才能の結果であるならば、比例平等の原則には適っています。むしろ、いくら努力しても、頑張っても、報われない社会の方が、より多くの人々の絶望と諦観を生むのではないでしょうか。抽象的なスローガンとして”格差是正”を唱え、所得移転という方法で格差を是正するよりも、機会の平等を尊び、個々人が公平な評価を受けることができる社会の仕組みを造るほうが、大切なように思えてならないのです。