時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”愛国無罪”が毒入り餃子事件を生む?

 中国で発生した反日暴動に際して、”愛国無罪”というスローガンが声高に叫ばれたことは、記憶に新しいところです。このスローガンには、たとえ犯罪行為であっても、愛国心から出たものは無罪であるべき、という意味が込められていますが、毒入り餃子事件の背景には、こうした歪んだ”愛国心”があるように思えるのです。

 日本国の警察の捜査によりますと、毒物である農薬の混入地は、中国国内であることには間違いなさそうです。一方の中国の捜査当局は、工場内での毒物混入はあり得ないと言い張ってはいるのですが、この事件が、人為的な犯罪である可能性は濃厚と言えましょう。そうして、もし、中国の従業員の中に、輸出先の日本人に害を与えても無罪である、と考えている人がいるとしますと、これは、かなり”危険”ということになりましょう。残留農薬や生産工程に問題がある場合には、システムの改善によって危険性を取り除くことができますが、人為的な場合には、何時なんどき、同じ事件が繰り返されるとも限らなくなるからです。

 愛国心が全ての犯罪の免罪符となるとする考え方は、犯罪容認の思想ともなります。中国社会が病んでいるとしますと、共産主義イデオロギーによって、善悪の判断がつかなくなってしまっているところにあるのではないでしょうか。