時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

皇位の長子継承は合理的ではない

 小泉内閣にあって、皇位継承に関する有識者会議が設けられ、長子継承の原則を合理的とした上で、女性天皇を認めるとする結論に至ったことは記憶に新しいところです。秋篠宮家の悠仁親王のご誕生により、この議論は立ち消えになりましたが、そもそも、長子継承は、皇位の継承において合理的な原則なのでしょうか。

 長子相続制とは、特に、親から子への所領や農地を伴う財産相続が行われる場合、土地の細分化と遺産相続争いを防くことを主たる理由とし定着した制度です。この成立過程を考えますと、長子相続の合理性とは、世代間の財産相続を円滑に行うことにおいて認められるものと考えられます(もちろん、現在では均等相続が主流なのですが・・・)。一方、天皇の場合には、皇祖神である”ににきの尊”の魂を大嘗祭において継承することこそ、日嗣ということになりますので、必ずしも長子であることにこだわる必要はありません。宗教にあっては、カトリックローマ法王制やチベット仏教ダライ・ラマ制にも見られますように、むしろ、長となるべき人の選出に際しては、祭祀者としての資質のほうが重視されることが多いのです。実際に、日本国の歴史を紐解きましても、皇位は男子継承が伝統であって、長子継承ではありません。長子継承は、後代の儒教の影響とも、武家の慣習とも言われているのです。ですから、合理性を持ち出して法律を改正し、無理やりに皇位継承の原則を変えて長子と定める必要はないと思われるのです(伝統に依拠する制度は、その伝統を破壊すると正統性を失う・・・)。むしろ、祭祀者として不適格な場合、あるいは、皇位継承予定者が、神道の祭祀者となることを望まない場合には、継承順を変更できる方が、本来の日嗣の意義には沿っているとも言えるのです。

 天皇家については、東宮問題をはじめとして、危機的な状況が伝えられています。しかしながら、祭祀権者の継承として皇位継承を捉えますと、より柔軟な対応が可能なのではないでしょうか。