時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

閣僚の発言には寛容に

 何時の頃からか、閣僚の発言が大きく失言として報じられ、辞任に追い込まれるという事件が頻繁に起きるようになりました。マスコミに取り上げられる中山氏に対する非難の論調と逆の主張のようですが、政治家という職業を考えますと、閣僚の発言の自由は広く保障されるべきではないか、と思うのです。

 そう考える理由は、担当する政策上の失敗でもなく、また、職務の怠慢でもないのにも拘わらず、閣僚を辞任するということは、本来、あってはならないと思うからです。しかも、言葉というものは、主観的な解釈によっては如何ようにでも悪くとることができます。ですから、発言による辞任が慣例となってしまいますと、同じ手法で今後とも多くの閣僚が攻撃の対象となることが予測されます。しかも、この手法が有効である限り、失言として騒ぎ立てることができるマスコミは、辞任要求の権利という目に見えず、しかも憲法において認められていない特権を持つことにもなるのです。これでは、国民は、蚊帳の外に置かれてしまうことになりましょう。

 国民は、政治家の発言を全て聞いた上で選挙の時に判断すればよいのであり、政策上の責任を取ったり、また、違法行為などがない限りにおいては、閣僚のポストは保障されるべきと思うのです。この趣旨は、憲法75条の閣僚の訴追に際しての首相の同意にも現われていると言えましょう。失言を気にして主義主張も押し隠しているような政治家は信用なりませんし、発言に不寛容な態度は、結局、混乱と人材の枯渇しかもたらさないのではないでしょうか。自由な発言と議論の中にこそ、とるべき道が見えてくると思うのです。
  
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