時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

宗教は自己浄化力を持つべきでは

 宗教ほど道を外れると害をなすものはないかもしれません。カルトや邪教の発生は、古今東西どこの国にも見られる現象であり、社会秩序を破壊するのみならず、時には、道徳を否定し、悪を容認しさえします。それでは、何故、宗教は堕落するのでしょうか。

 その理由の一つは、宗教は善であるとする共通の既成概念が、宗教を悪の隠れ蓑としているからかもしれません。そもそも宗教とは、人々が苦から救われ、お互いに慈しむことを説いておりますので、宗教に対する人々の信頼は絶大なものがあります。誰も、宗教家が悪人であるとは思いもよりませんし、その姿に安心するものです。しかしながら、一度、善であるべき宗教に悪が紛れ込んでしまいますと、誰も、それを取り除いたり、悪を咎めることが難しくなります。悪にとりましては、絶対善の立場ほど程、居心地のよい場所はなくなります。しかも、信者の人々は、それを絶対的な教えであると信じているのですから、批判どころか、無自覚のうちに悪事に手を貸すことになりかねません。

 宗教を語りながら悪事を働く集団が横行している現状を見ますと、宗教は、自己浄化力を持つべきではないか、と思うのです。無菌状態な宗教は、悪に染まりますと、直ぐに堕落してしまいます。この自覚がないがぎり、宗教は、常に悪しき利己心や欲望に利用されてしまうのではないか、と危惧するのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
<A HREF="https://blog.with2.net/in.php?626231">人気ブログランキングへ</A>