時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

世襲議員の議論は政治家を育てるシステムとセットで

 世襲議員の制限案については、自民党でも民主党でも、党内で賛否が分かれているようです。ところで、政治家への入口の議論については、政治家を育てるシステムと合わせて議論すべきではないか、と思うのです。

 国民が政治家に望む資質として、政治的能力や信頼性などを挙げることができます。世襲では必ずしも政治的能力は保障されませんが、代々政治家を輩出してきたという実績が、政治家に備わるべき信頼性を支えているとも言えます。世襲議員とは、いわば”伝統的支配の類型”とも言えるのですが、世襲を禁じたからと言って、両者を兼ね備えた人物が政治家に選ばれるという保証もありません。最悪の場合には、知名度はあるけれども、政治家としての能力にも、信頼性にも欠ける人物が選ばれる可能性もあるのです。ですから、本来議論すべきことは、どのようにしたら、政治的能力も信頼性も高い人物を、政治家として育てることができるのかということであり、この議論なくして世襲制を排したとしても、日本国の政治は、レベルアップしないのではないかと思うのです。今後、真剣に考えるべきは、優れた政治家を養成するシステムなのではないでしょうか。

 なお、職業選択の自由を保障する観点から、世襲を認める意見もありますが、親や親族から地盤を引き継ぎ、他の人々の立候補を難しくするとしますと(排除性)、他の候補者の職業選択の自由を狭めることになりかねません。世襲は禁じないけれども、別の選挙区で立候補するとする方法が、やはり妥当な解決方法とも思われるのです。

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