時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

マニフェストが”国民との契約”では困る

 鳩山首相は、マニフェストは”国民との契約”と理解されているようです。しかしながら、マニフェストと契約とは、同じ種類のものではないように思えるのです。

 ”契約は守られなければならない”とする格言が示すように、契約を結んだ限りは、当事者は、それを履行する法的な義務を負います。もし、マニフェストが契約であれば、鳩山首相も、この義務を誠実に実行することを宣言したのですから、ことさらに問題にはならなかったかもしれません。しかしながら、マニフェストが契約ではないとしますと、誠実な実行が、逆に、国民を、そうして自分自身を苦しめることにもなるかもしれないのです。マニフェストと契約との違いは、第一に、選挙での投票は、契約書へのサインではないことです。もし、契約書と同じであるならば、国民は、相手方と内容について交渉をする権利が保障されているはずです。あくまでも、政党側が一方的に提示した政策リストに過ぎないのです(”抱き合わせ販売”・・・)。第二に、民主党に投票しなかった人々は、契約にサインしなかったことになりますので、マニフェストの内容に拘束されないことになります。第三に、マニフェストを契約としますと、契約の内容に反した政策を行った時点で、政府は、契約違反の責任をとらなければならなくなります。

 民主党政権は、マニフェストを盾に一方的に自党の政策を推し進めたい半面、マニフェストに違うことをすれば、政権の責任問題に発展するというジレンマに陥っているのではないでしょうか。

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