時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

民主党政権は国家ヴィジョンを語らないのではなく語れないのでは

 行政刷新会議の仕分けに際して、判断の基準があいまいであったことから、マスコミを始め多くの方面から、民主党の国家ヴィジョンや国家戦略が見えないとの批判の声が上がりました。国家戦略局というもっともらしい機関が設けられながら、民主党政権が目指している、将来の日本国の姿が見えてこないのです。

 民主党の寄せ集め体質や政権交代への執念を考えますと、最初は、民主党は、政権の座に就くことが唯一の目的であって、国家ヴィジョンなどそもそも存在しないのではないかとも思ったものです。鳩山首相座右の銘である”友愛”も、明確な像を結ばないのですが、何かをカモフラージュする言葉であるようにも聞こえます。しかしながら、最近になりまして、仕分け作業や民主党政治家の発言などから判断しますと、国家ヴィジョンはあるのだけれども、国民に対して、それを正直かつ誠実に公表できないのではないかと疑うようになったのです。仕分け作業での”一番になる必要はない”というフレーズが象徴するように、グローバルな競争から離脱し、世界に通用するブランドを持つ大企業もなく、個人の能力や才能は埋もれ、国民の政府依存度が高く、伝統文化も消え、外国の嘘にもひたすら謝罪し、軍事的にも弱小な国、こうした弱体化した国こそが、民主党の目指す社会主義的な国家像なのかもしれないのです。

 もし、民主党政権が、この国家ヴィジョンを国民に正直に語ったとしましたら、どれだけの国民が、民主党政権を支持するでしょうか。密約を追求するならば、自身もまた国民に隠し事をせず、正直に自党の国家ヴィジョンを語るべきと思うのです。

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