時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

政治的判断は常に正しいのか―スーパーコンピューターと原子力

 昨日、理研富士通が共同開発したスーパーコンピューター「京」が、計算速度世界第一位を記録したとのニュースが報じられました。危うく”仕分け”されるところであっただけに、思わぬ朗報として伝わったのですが、この快挙、政治と科学技術の問題をも提起してると思うのです。

 現在、福島第一原発の事故を受けて、脱原発の声が上がっており、菅首相は、脱原発を争点として総選挙に打って出るのではないか、との憶測もあります。しかしながら、科学技術上の問題を、政治判断によって決めることには、伸びゆくはずの技術発展の芽を摘むという問題点があります。もし、”無駄の削減”を最優先して、仕分け会議でスパコン予算がカットされていれば、今日の世界一位もなかったはずです。原子力についても同様であり、危険性ばかりに心を奪われて早急に脱原発を決定しますと、これまで蓄積されきた原子力技術を失い、将来の果実を得ることなく、途中放棄とならざるを得なくなるかもしれません。もちろん、その中には、より先端的な安全技術も含まれているのです(上手に使えば、人類に貢献する可能性もある・・・)。

 福島第1原発の事故の検証も済んでおらず、原子力技術の現状や将来性についての充分な知識を得ていない段階にあって、脱原発の判断をすることは、政治家にとっても、国民にとっても、かなり無理のあるお話です。結論を急いだ結果、将来の道を閉ざすことになってはならないと思うのです。

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