時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

脱原発で”バカを見る”かも

 ”バカを見る”という言葉は、あまり良い言葉ではありませんので、本当は、使いたくはないのですが、脱原発派の主張を聞いていますと、つい、言いたくなるのです。警告の意味を込めて。

 何故、このような言い方をするのかと申しますと、核分裂核融合ほど莫大なエネルギーを得られる方法は、今のところ、他にないからです。原子爆弾の登場が、爆弾の威力を飛躍させ、兵器の歴史を一変させたように、原子力は、平和利用においても飛び抜けた能力を秘めています。このことは、平和思想とは関係のない、物理的な事実です。この点から見ますと、脱原発とは、最先端のエネルギー技術を放棄し、旧来型に逆戻りすることを意味するかもしれないのです。我が国が、原子力技術を放棄し、自然エネルギー技術の開発に多額の投資をし、長期にわたって研究・開発に勤しんだ結果、ある程度の成果を上げたとしても、諸外国で、安全性と発電効率を向上させた原子炉が開発され、さらに高速増殖炉、熱核融合常温核融合・・・と発展を見せた場合、得られるエネルギー量には、両者の間で相当の差が生じます。つまり、脱原発した結果、”バカを見る”ことになるかもしれないのです(経済的に疲弊するという意味においても・・・)。

 高速増殖炉もんじゅの開発中止を言い出している党もあるようですが、今の時点で、積み上げてきた原子力技術を放棄する必要は、全くないと思うのです。エネルギー政策は、国家100年の計なのですから、原子力の平和利用は、将来の世代のためにも、継続すべきなのではないでしょうか。

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