時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

原発推進派ではなく原発容認派と表現しては

 半年前のこの日に発生した東日本大震災は、地震と大津波に襲われたにとどまらず、福島第一原発の事故を併発したことで、我が国と国民は、未曾有の被害を受けることになりました。当初は、復興景気による経済の浮上も期待されていましたが、相次ぐ原発の停止により、全国的な電力不足が本格的な復興への足かせともなっています。こうした状況を考慮しますと、原発の再稼働は急ぐべきことなのですが、政界やマスコミをはじめ、反対勢力も強く、先行きは不透明です。

 ところで、マスコミは、原発の存在を認めている人々を、原発推進派と表現していますが、原発容認派という言葉を使ってはどうかと思うのです。原発にリスクが伴うことは、福島第一原発の事故で国民もよく理解しており、100%の安全神話を信じている人は、もはや皆無となりました。にもかかわらず、日本国の経済や国民生活を考えて、原発の稼働を認めようとする人々も少なくないのです。つまり、原発を放棄するのではなく、リスクを認識し、そのリスクの管理を徹底することで、原発を安全に使って行こうという人々です。原発推進派という表現では、安全性やリスクを度外視して、利権のために原発建設に邁進する人々というイメージがつきまといます。

 実際には、原発利権ではなく、日本経済と国民生活を考えて、原発の必要性を冷静に判断して認めている一般の国民もおります。こうした国民のためにも、原発容認派の表現の方が、相応しいと思うのです。

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