時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

将来リスクの不確実性問題-原発・地球温暖化

 今日の先端技術を以ってしても、人間は、明日のお天気でさえ、100%確実に予想することができません。況してや、何万年単位の変化であったり、複雑な要因が絡む自然現象である場合には、不確実性は、格段に上昇します。最近、不確実性の問題は、科学分野のみならず、政治においても深刻な問題を投げかけるようになりました。

 何故ならば、不確実な将来リスクを前提として、ある特定の政策を実施することを主張する政治家や政治勢力が、最近、目立ってきているからです。日本国では、福島第一原発の事故以来、地震という不確実な自然現象から生じるリスクが、原発ゼロ政策の根拠として挙げられています。たとえ、地震活断層が事故に繋がる可能性が0.01%であっても、政策を正当化する切り札とされているのです。一方、地球温暖化問題もまた、不確実性に基づくことにおいて、原発問題と同様です。地球温暖化ガスの効果についても学術的に諸説がありながらも、不確実性は無視され、国連機関などの決めつけの下で、政策が推進されています。不確実性に基づく政策ほど、実のところ、厄介な政策はありません。脱・反原発にせよ、地球温暖化にせよ、不確実性を”確実性”に強引に置き換えてこれらの政策を実行しますと、莫大なコストがかかるからです。これらのコストは、無駄となる可能性もまた、極めて高いのです。

 人々のリスクに対する恐怖心を利用して、自らの行動を政策を正当化する手法は、フランス革命の革命委員会にも見られました。危険人物と恣意的に断定した人々に対して”反革命分子”のレッテルを張り、次から次への断頭台に送ったのですから。オウム真理教のポアも、他者の将来における危険性を一方的に判断し、”悪人になる前に殺してしまえ”とばかりに、殺人を実行しました。将来のリスク評価の判断ほど、不確実性故に難しく、かつ、危険なものはないのですから、判断を行う人々は、決めつけを避け、より謙虚であるべきと思うのです。

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