時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”戦争のできる国”論のミスリード

 現在、日米同盟を強化すべく、安保法制の整備が進められております。憲法改正も視野に入ってきたことから、一連の動きについて、日本国は、戦前のように”戦争のできる国”になる、とする批判の声も少なくありません。

 しかしながら、”戦争のできる国論”、すなわち、軍国主義復活論を唱えている人々は、戦後の国際社会における変化を無視しております。国際連合が成立し、国際法における法整備も進んだ今日では、如何なる国も、”侵略戦争”を遂行することは出来ません。安保法制が拡充され、憲法第9条が改正されたとしても、今日の日本国が、”侵略戦争”を行うことは出来ないのです。この意味において、”戦争のできる国”論は、世論をミスリードしているとしか言いようがないのです。憲法改正案でも、侵略戦争のみを禁じる方向で戦争の定義を明確化しております。つまり、”できる戦争”があるとすれば、防衛戦争、平和の回復(安保理決議の採択等による制裁的な戦争…)、独立戦争、人道的介入…といった国際法が合法性を認める戦争であり、それらはどれも、侵略を抑止し、国際秩序を維持するためには必要な戦争です。

 戦前の国際社会は、国際的な法整備も未熟であり、制度も不完全なものでした。今日でも、国連には欠陥もありますが、それでも、戦前よりは、はるかに平和的に解決できる範囲は拡大しております。”戦争のできる国”論者が、国際法において合法的な戦争まで否定しているとしますと、それは、暴力の野放しを提唱しているに等しいと思うのです。

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