時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ポツダム宣言よりサンフランシスコ講和条約を知るべきでは

 昨日の記事では、ポツダム宣言には、戦後の日本国の防衛や安全保障に関する要求もなければ、日本国憲法第9条についての記述もないことを指摘しました。ポツダム宣言を盾に安保法制に反対する人々に対しては、サンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)を読んだことがあるのか、ぜひとも伺ってみたいと思うのです。

 平和条約の締結によって、国家間の戦争に公式に終止符が打たれ、敗戦国であっても、主権国家として国際社会に復帰することが約束されます。日本国の場合、第二次世界大戦が冷戦へと転じたために部分講和となりましたが、1952年4月28日サンフランシスコ講和条約こそ、国際社会における戦後の日本国を位置づけた基礎的な条約です。当条約を読みますと、その第5条(c)に、「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する」とあります。日本国もまた、他の国家と同等に、主権国家としての防衛や安全保障の権限を有することが強調されているのです。この条文は、同じく枢軸国であったイタリアとの講和条約と比較しますと、極めて興味深い点が浮かび上がります。1947年2月10日、つまり、日本国憲法が制定された1946年11月3日から間もない時期に締結された「イタリアとの平和条約」では、国連加盟までといった期限付きながらも、軍備制限に関する条項が書き込まれているのです。両講和条約に見られる連合国の正反対の方針は、冷戦の激化を背景として、日本国憲法第9条によって制限的となった日本国の防衛や安全保障について、その制約を解除する方向でサンフランシスコ講和条約が軌道修正を図ったとも解釈できます。

 中国は、サンフランシスコ講和会議に招かれなかったため、しばしば、カイロ宣言ポツダム宣言を持ち出していますが、日本国の共産党もまた、サンフランシスコ講和条約をなきものと見なしているのかもしれません。しかしながら、安保法制の議論を進めるに際して基礎とすべきは、米英仏の連合国主要国を含む46カ国との間で成立したサンフランシスコ講和条約であることを、忘れてはならないと思うのです。

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