合憲論が憲法学の主流であったのでは?
憲法学のテキストによれば、第9条1項に対する解釈は、大きく分けてA説とB説があります。A説は、「国際紛争を解決する手段としては」は「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇又は武力行使」の両者にかかると解釈し、B説とは、「国際紛争を解決する手段としては」は「武力による威嚇又は武力行使」のみにかかるとする説です。さらにA説には、A¹説とA²説があり、A¹説は、”国際紛争を解決する手段”を”侵略戦争”と解し、自衛戦争や制裁戦争は禁止されないとする解釈です。京都大学名誉教授の佐藤幸治氏が著した『憲法』においても、「A説に立つ限りA¹説が妥当であろう」と述べており(もっとも、氏は本心ではB説支持らしい…)、政府解釈も、今日では、国際情勢の変化に合わせてA¹説へと変遷してきています。つまり、従来の解釈では、憲法が禁じているのは”侵略戦争”のみ、とする見解が支持されてきたのです。侵略戦争のみを違憲とする解釈では、個別的自衛権も集団的自衛権も区別なく合憲とされるはずなのですが、何故か、安保法案に関しては、両者を区別し、集団的自衛権の行使は違憲とする意見が唱えられております。集団的自衛権に対して制限的な解釈を付したのは、”集団的自衛権はあるが行使できない”とする80年代の内閣法制局の解釈に始まりますので、憲法学者の方々は、変更前の政府解釈を、何としても法理的に正当化しようとしたのでしょう。
違憲論者は、個別的自衛権と集団的自衛権を区別する根拠を、前文にある”平和のうちに生存する権利”や第13条の幸福追求権に求めてもいますが、これらの文言や条文を、地理的範囲を限定したり、同盟政策や国連での活動を禁じていると読むことには無理があります。95%との数字も示されておりますが、憲法第9条の解釈論では、むしろ、個別、集団的の区別なく、自衛権合憲論が主流であったのではないかと思うのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。