時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

東京五輪エンブレム問題-欠如している審査員の審美眼

 東京オリンピックパラリンピックのエンブレム問題は、一難去ってまた一難の様相を呈しております。佐野氏の起用による”パクリ問題”の反省から、公募制を導入したものの、最終案として残った4作品とも、今一つの出来栄えばかりなのです。

 A案は日本国の伝統文様である市松模様を藍色でデザインしたものですが、市松模様とはチェック柄の事ですので、これと言って日本らしさはありません。B案は、スポーツの躍動感を表わしているそうですが、津波を連想させるとする指摘があります。C案は琳派を意識しており、風神雷神図をデフォルメしたデザインであり、最も日本的ではあります。しかしながら、俵屋宗達の原作と比較しますと、如何にも間抜けた構図であり、北京オリンピックのエンブレムにも酷似しているそうです。D案に至っては、意味不明です。朝顔は、朝に花を咲かせますが、夕べには萎みますので、縁起の良い花でもありませんし、日本国を連想させる花でもありません。どれをとりましても、難のあるデザインばかりなのです。それでは、何故、このような事態が発生したのかと申しますと、日本国のデザイナーのレベルが低下したとも考えられますが、審査員の側に問題がある可能性もあります。元スポーツ選手など、知名度を基準とした審査員の人選は、デザインを選ぶという仕事からしますと、適切であったのか疑わしい限りです。

 国民の多くは、公募によるエンブレムを楽しみにしていただけに、公表された4案に対する落胆ぶりも一入です。これまでの経緯からしますと、審査委員の人選の基準を審美眼とセンスに変えない限り、何度コンペをやり直しても同じことの繰り返しとなるのではないかと思うのです。

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