時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

朝鮮半島とネオ・ユダヤ組織との繋がり

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。旧満州(モンゴル・タタール)地域とネオ・ユダヤ人組織との関連につきましては、高麗、並びに、李氏朝鮮問題にも注目してみる必要があるかもしれません。今日は、高麗とモンゴルとの密接な関連について概観しておくことにしましょう。
 
高麗(918 - 1392年)は、高句麗の遺臣であったとされる王建(太祖)が918年に建国し、1392年まで続いた朝鮮半島の国家です。中国大陸にモンゴルの元朝が成立しますと、高麗の忠烈王(在位1274 - 1308年)はクビライの娘忽都魯掲里迷失(クトゥルク=ケルミシュ)と結婚し、ハーンの娘婿となります。以後、13世紀後半から14世紀半ばにかけて、高麗の歴代国王(第24代元宗~第31代恭愍王/武宗)は、元宗と、夫逝した忠穆王/継宗・忠定王/哀宗をのぞき、モンゴル帝室の公主を娶ることになります。
 
また、忠烈王とこのモンゴル皇帝の公主との間に生まれた忠宣王(1308 - 1318年)以降の高麗世子は、モンゴルの宮廷で育ち、大ハーンの側近に仕えるなど、モンゴルの宮廷で生活した後、父王の死後に、高麗に帰国して高麗王に任命されるのが慣例となるのです。
 
 
さらに、高麗では、胡服辮髪の令(1278年)を出したほか、一切の律令制定と発布はモンゴルの権限とされるようにもなりました。すなわち、高麗は完全に元の支配下へ組み込まれ、400年間にわたり、事実上モンゴル帝国の国内の一封建領となっていたのです
 
我が国は、2度にわたる元寇を防ぎ、独立を守りました。しかし、元寇の主力部隊が高麗軍であったことに示されますように、日本海を隔てて、目と鼻の先にある朝鮮半島では、モンゴルと極めて密接な繋がりのある国家が出現していたのです。ネオ・ユダヤ人勢力がモンゴルと近い関係にあることを踏まえますと、朝鮮半島のモンゴル化問題は、明治維新日韓併合問題も含め、我が国の政治・外交にも大きな影響を与え続けていると考えることができるのです。

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(続く)