時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

韓国・朝鮮は「ロスチャイルドの国」?

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。明治天皇につきましては、成り済ましたとされる大室寅次郎は、南朝の末裔を称しながら、その実、密入国してきた朝鮮人からなる所謂‘朝鮮部落’の出身であるという説があります。創価学会池田大作が、北朝鮮出身者であることは相当蓋然性の高い説ですので、現在の所謂‘皇室’の著しい朝鮮化は、既に幕末における「黒いユダヤ人」の国際組織による工作活動の結果であるとする憶測も成り立ちます。
 
このような推測は、「黒いユダヤ人」の国際組織が、遅くとも幕末までには特に朝鮮民族と親しい関係にあったと仮定しなければ成り立ちません。そこで「黒いユダヤ人」と朝鮮民族との接点を探ってみますと、本年3月7日に述べました以下の点が注目されます。
 
――
李氏朝鮮を開いた李 成桂(り せいけい、在位:1392-98年)は、元(モンゴル)の武官であった人物です。1351年に紅巾の乱が発生し元朝が衰えますと、1357年からは高麗の武官(千人隊長)となり、1392年に高麗王位を簒奪して高麗王を称したのです。
 
宗主国であった明より、王朝が交代したとして国号を変更するよう命じられることになりますと、李成桂は、国号案として「朝鮮」と「和寧」の二つの候補を準備し、明の洪武帝に選んでもらうことになります。「和寧」は李成桂の出身地の名であるとされておりますが、元の本拠地カラコルムの別名でもありました(このため、洪武帝は、むかし前漢武帝にほろぼされた王朝(衛氏朝鮮)の名前であり、平壌付近の古名である「朝鮮」を選んだといいます)。
 
そもそも、李成桂の素性につきましては、数代前より元朝に仕えていたことだけは、はっきりしているようなのですが、出自不明とされております。李成桂は、カラコルムを故地であると主張していることからは、あるいは、モンゴル人であったのかもしれません(李成桂の父の李子春は吾魯思不花というモンゴル名を持ち、さらに、祖父李椿は孛顔帖木児、李子春の同母兄李子興は塔思不花、李子春の兄弟は完者不花、那海など李氏一族は皆モンゴル名を持っている)。仮に、モンゴル人ではなくとも、モンゴル人や元朝を極めて意識していた人物であると言えそうです。
 
いずれにいたしましても、モンゴルとの密接な関係は、李氏朝鮮の性格を表していると言うことができます。悪逆非道で知られるモンゴル流の専制支配が、李氏朝鮮におきまして続くことになったと推測することができるのです。
 
――
 
 このように李氏朝鮮は、モンゴルとの関連の強い王朝でした。そして、本ブログにおきまして、マスター・ロバートの事例などを挙げて再三にわたって述べておりますように、ネオ・ユダヤ人、すなわち、「黒いユダヤ人」は、遅くとも13世紀から歴史的にモンゴルと親しい関係にあり、特に、その中心的勢力であるロスチャイルド家は、その元の家名が「カンKhan」であることに示唆されますように、モンゴル系の出自である可能性が高いと言うことができます。
 
こうした点から、「黒いユダヤ人」の国際組織は、李氏朝鮮に接近していたと推測することができます。日韓併合後の李朝が、その国力からはほど遠い「大韓帝国」と命名された理由は、憶測の域は出ませんが、「黒いユダヤ人」の国際組織が、「カンKhan」を「韓Kan」と表現したからなのではないか、と考えることができます。すなわち、「大韓帝国」は、秘かに「ロスチャイルドの国」という意味を持っており、現在でも、韓国・朝鮮問題をめぐりましては、「ロスチャイルドの国」という性格を考慮しなければならないのかもしれません。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
 
(続く)