時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イルミナティ・ロスチャイルド家は中国(モンゴル)起源か

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。1776年5月1日に、ヨハン・アダム・ワイズハウプトJohann Adam Weishauptによって創設された秘密結社のイルミナティIlluminatyをめぐっては、ロスチャイルド家のマイアー・アムシェル・ロートシルト(独: Mayer Amschel Rothschild1744223 - 1812919日)から要請されて作られたという特徴があります。
 

ロスチャイルド家が、紛れもなくイルミナティーの中心的存在の一つであると言うことができますが、ロスチャイルド家は、なぜ、かくも全世界にその勢力を伸ばすことができたのでしょうか。ヴィクトリアの即位が、その一大契機となったと考えられますが、ジョージ3世GeorgeⅢ(在位:1776-1800年)とその妃メクレンブルグ公女・シャーロットSophiaCharlotte of Mecklenburg-Strelitzの役割にも、注目する必要があるかもしれません。ロスチャイルド家が頭角を現したフランス革命、そして、ナポレオンの時代は、ジョージ3世とシャーロットの時代であり、チャールズ・ディケンズCharles John Huffam Dickensの小説『二都物語A Tale ofTwo Cities』(1859年)の舞台もこの時代であるからです。ロスチャイルド家が、ジョージⅢ世の時代に勢力拡大の発端となった原因がどこにあるのか、この点について今日は扱います。

 
この時代のロスチャイルド家の当主は、マイアー・アムシェル・ロートシルト(独: Mayer Amschel Rothschild1744223 - 1812919日)ですが、その父は、アムシェル・モーゼス・ロートシルトAmschel Moses Rothschild? - 1755106日)であり、18世紀ドイツフランクフルト・アム・マインのゲットー(フランクフルト・ゲットー)で両替商及び絹布貿易を営んでおりました。モーゼスの先祖は、父であるモーゼス・カルマン・ロートシルトMoses Kalman Rothschild17351019日没)までしか分からず、カルマン以前に、ロスチャイルド家の家系を辿ることはできません。このように、出自不明ながら、絹布貿易を営んでいたという点からアジアとの関係が伺われます。古来、絹織物は、中国の特産物であり、シルクロードを経て西方にもたらされたからです。ロスチャイルド家の元の家名は「カーンKhan」であることに加えて、絹布貿易商であったという点も、ロスチャイルド家がモンゴル系ユダヤ人である可能性を示唆しております。
 
本年2月8日付本ブログにて、13世紀、チンギス・ハンGenghis Khanによって建てられた元帝国は西征を試み、その子のバトゥが、ポーランド、シレジア、スェーデンにも侵入し、メケレンブルグ領内、もしくは、その近郊にまで、その影響力を及ぼしていたと考えることができると述べました。「メケレンブルグ」とは、「大都」という意味なそうですが、この都市名は、モンゴル帝国の首都「大都(現在の北京)」を連想させます。
 
憶測の域を出ませんが、出自不明のロスチャイルド家の元の家名が、モンゴル系であることを示唆する「カーン」であることは、ロスチャイルド家は、メケレンブルグ近郊に侵出してきたモンゴル系ユダヤ人の絹布商人の子孫であるかもしれないのです。メケレンブルグは、おそらくは神聖ローマ帝国領内において、最もモンゴルとの繋がりが強い公国であり、ドイツ連邦を構成する一ヵ国としての立場を利用して、まずもって、ドイツ国内において、その勢力の拡大に着手したのではないか、と考えることができるのです。
 
そのメケレンブルグから英国王室に嫁いできたのがシャーロットであり、『二都物語』において、ディケンズは、シャーロットの顔立ちを「平坦plain face」と描写しております。モンゴル人の顔立ちは起伏に乏しく、「平坦plain face」と表現されたシャーロット自身も、どこかアジア系を思わせる容姿であったかもしれないのです(確かに、肖像画に残るシャーロットの容姿は、アジア・アフリカ系の容貌)。

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(続く)