時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ロンドンの治安悪化の背景にイルミナティーあり?

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨今、ロンドンの治安が、ニューヨークよりも悪くなったそうです。僅か1か月で31件という刃物による殺人の多発は、「切り裂きジャック事件」を想起させるとともに、イルミナティーとの関係が推測されます。それは、ロンドンの治安維持を担う行政の長である現ロンドン市長が、パキスタン系のイスラム教徒であり、労働党社会主義派に属すサディック・カーン氏Sadiq Aman Khanであるからです。
 
イルミナティーの中心的勢力の一つであり、‘闇の帝王’ともされるロスチャイルド家の元の家名が、モンゴル系であることを示す「カーンKhan」であることは、本ブログにて再三にわたって指摘しております。その「カーンKhan」という苗字は、イスラム教徒、特に、パキスタンイスラム教徒にも多い苗字なのです。その苗字から、サディック氏は、ロスチャイルド家の縁者、もしくはロスチャイルド家の資金援助を受けて当選した可能性が高い人物であると言うことができます。

因みに、ダイアナ元皇太子妃と交際のあったハスナット・カーン氏もパキスタン出身であり、親戚に当たる政治家のイムラン・カーン氏がジェームズ・ゴールドスミス氏の子女と一時的に婚姻関係にあったため、ロスチャイルド家とも遠戚となっていたそうです。加えて、ハスナット・カーン氏は、離婚はしたものの、旧アフガニスタン王国のハーディア・シェール・アリ元王女と一時期結婚しており、世界王室・皇室ネットワークとの繋がりが推測されます。
 
そして、歴史的に見て、ロンドンの治安が極めて悪化した時期が18世紀後半にもありました。この時期こそ、ジャーナリストのディケンズが『二都物語A Tale of Two Cities』でその悲惨さを描いたフランス革命期のロンドンです。世紀末とは、大英帝国の都、ロンドンにおいて殺人、強盗、追剥、詐欺が横行し、市民同士が疑心暗鬼となった時代でもあったのです。
 
この治安悪化の時期の英国王は、ジョージ3世George Ⅲ(在位:1760~1800年)であり、その王妃は、北ドイツのメケレンブルグ公国の出身のシャーロットSophia Charlotte of Mecklenburg-Strelitzでありました。憶測の域は出ませんが、シャーロットの出身地であるメケレンブルグは、以下の点からロスチャイルド家との結びつきがあるようです。
 
北ドイツ、ユトレヒト半島の付け根に位置し、バルト海に面するメケレンブルグは、ドイツで最も貧しい地域です。13世紀、チンギス・ハンによって建てられた元帝国は西征を試み、その子のバトゥは、ポーランド、シレジア、スェーデンにも侵入しました。この時に、モンゴル勢は、北ドイツのメケレンブルグ領内、もしくは、その近郊にまで、その影響力を及ぼしていたと考えることができます。

このことは、モンゴル系の人々が、特に、モンゴル系の「黒いユダヤ人」がメケレンブルグ地域に侵出、進出してきていた可能性を示しております(‘トロイの発見’でもよく知られるヘンリー・シュリーマンもメケレンブルグ出身であって、ユダヤ系…)。出自不明のロスチャイルド家の元の家名が「カーンKhan」であることは、ロスチャイルド家は、13世紀にドイツ北部に侵出してきた、あるいは、商売目的で同地に拠点を構えたモンゴル系の人々の子孫であり、このことから、「カンKhan」を家名としていたとも推測することができます。

「メケレンブルグ」とは、「大都」という意味であることは、モンゴル帝国の首都が「大都(現在の北京)」であることを想起させます。『二都物語』において、ディケンズは、シャーロットの顔を「平坦plain face」と表現していることも、この点を補うでしょう。モンゴル人の顔立ちは、鼻が低いこと、すなわち、「平坦plain」であることを特徴としていることから、「平坦plain face」と表現されたシャーロット自身も、モンゴル系であったかもしれないのです(確かに、肖像画に残るシャーロットの容姿は、アジア・アフリカ系の容貌)。
 
そのロスチャイルド家Khan)は、まさに、シャーロットの時代に、
英国において躍進しております。そして、その時代はまた、ロンドンの治安が極めて悪化した時代でもあったのです。
 
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(続く)