時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「チーム木戸孝允」の奇奇怪怪

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨日、木戸孝允の略歴を調べてみますと、木戸孝允は、文久3年(1863年)5月8日に、長州五傑と呼ばれる秘密留学生5名(井上馨(聞多)、伊藤博文(俊輔)、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助)として、横浜から英国留学に出立している一方で、同年同月、藩命により江戸から京都に上り、正藩合一による大政奉還および新国家建設を目指す目的で、破約攘夷活動を始めているという矛盾があることをめぐって、木戸孝允もまた、イルミナティーによってつくられた「チーム木戸孝允」であった可能性があることを指摘いたしました。
 
では、「チーム木戸孝允」の真相とは、どのようなものであったと推理することができるでしょうか。
 
当時、海外への出国は幕府によって禁止されておりましたので、長州藩の秘密留学生とは、まずもって藩外の誰にも知られないように秘かに英国に出立した違法者ということになります(吉田松陰の例によっても示唆されるように、帰国後に幕府によって捕縛・処罰される可能性は高かった)。そこで、長州藩は、秘密留学生の存在を幕府や他藩にひた隠すために、木戸を含む留学生の‘影武者’を立てたのではないかと推測することができます。その影武者を用意したのが留学生の受け入れ先である英国(当時は実質的にイルミナティー)であり、そして、イルミナティーは、その影武者たちを、アンボイナなどの日本人町から連れてきたのではないか、と推測することができます。
 
2016年12月28日付け本ブログにて、「消えた日本人街の謎:東インド会社と結びついていた在外邦人」と題して、以下のように述べました。
 
「ここに、幕末史をめぐる大きな謎があるようなのです。そのことを示すのが、1623年発生したアンボイナ事件です。アンボイナ事件とは、オランダ領アンボイナ島におきまして、当地のイギリス人(東インド会社社員)が、オランダに対してオランダ要塞の奪取の陰謀を企てたとして、オランダ側によって処罰された事件であり、英蘭戦争の原因の一つともなったとされる事件です。この時、オランダ側によって陰謀の咎で捕縛・処罰された人々のなかに、日本人9名とポルトガル人1名が加わっておりました。ポルトガル人も加わっていたことを考えますと、東インド会社内の隠れイエズス会問題が関わっているようにも推測できますが、1623年の時点で、日本人と東インド会社との間には、密接な結びつきができてあったようなのです。
 
いずれにいたしましても、日本史では、19世紀、幕末となって、日本は、オランダ以外の西洋諸国との間に関わりを持つようになったと理解されがちですが、海の向こうでは、東インド会社を通して、在留邦人と西洋諸国との長い接触があったのです。では、このような在外邦人は、幕末の頃には、どのようになっていたのでしょうか。幕末から明治にかけての最大の謎、それは、在外日本人街が忽然として消えてしまったことにあるのではないでしょうか。」
 
東インド会社は、イルミナティーの代理組織と言えるような英王室の勅許会社であり、日本語を話すことのできる「日本人町」の‘日本人(現地の人々との混血や黒いユダヤ人との混血も含む)’のなかから、影武者を用立て、日本に送り込んだと推測することができるのです。
 

まさに推理小説のようなお話なのですが、こうして「チーム木戸孝允」ができあがり、‘木戸孝允’の英国留学中、‘木戸孝允’は、イルミナティーの指揮命令のもとで、正藩合一による大政奉還および新国家建設に邁進するという奇奇怪怪の状況が生じたと考えることができるのです。


 

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(続く)