時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ヒトラーの父アロイスはロスチャイルドの庶子か?

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。ヒトラーが‘ユダヤ人’であるとする説は、その父・アロイス・ヒトラーAlois Hitler7 June 1837 – 3 January 1903)の出自の謎に起因しております。
 
Wikipedia(日本語版)によりますと、「彼は低地オーストリア地方にあるシュトローネス村にマリア・アンナ・シックルグルーバーという未婚女性の私生児として1837年に生まれ、アロイス・シックルグルーバーと名付けられている。父アロイスは祖母マリアが42歳の時に生まれた高齢での出産で、しかもこれが初産であった。さらに祖母は子供の父親として考えられる相手の男性について決して語らず、結果的にアロイスの洗礼台帳は空白になっている」そうです。「ヒトラーHitler」という苗字は、アロイスの母であるマリア・アンナ・シックルグルーバが、「ヒドラHiedler」という苗字の粉ひき職人と結婚したためで、後に、ヒトラーが「ヒドラHiedler」を「ヒトラー」と改めたことによるそうです。
 
アドルフ・ヒトラーの祖父は、誰であるのかわからないのですが、以下の点は、アロイスが、ロスチャイルド家のメンバーの庶子であった可能性を示していると言うことができます。
 
1)Wikipedia(日本語版)によると「アロイスは義叔父の下で小学校(国民学校)を出た後、ウィーンへ靴職人として徒弟修行に出向いている。しかしウィーンに出たアロイスは下層労働者で終わる事を望まず、19歳の時に税務署の採用試験に独学で合格して公務員となった。上昇志向が強いアロイスは懸命に働いて補佐監督官や監督官を経て最終的には税関上級事務官まで勤め上げたが、これは無学歴の職員としては異例の栄達であった」そうです。靴職人や徴税吏は、ユダヤ人の多い職業である点を踏まえると、アロイスが無学にもかかわらず、ハプスブルグ帝国の税務署の採用試験に合格し、栄達した背景には、‘ユダヤ人’組織の支援があったと推測することができる。
 
2)当時のハプスブルグ帝国は、后妃エリザベートバイエルンの出身であったことから、イルミナティーとの繋がりが強かったと考えることができ、アロイスの異例の出世の背景には、ロスチャイルド家の存在を推測できる。
 
3)ヒトラーは、1889420日の午後630分、当時ヒトラー家が暮らしていたブラウナウにある旅館ガストホーフ・ツー・ボンマーで出生し、2日後の422日にローマ・カトリック教会のイグナーツ・プロープスト司教から洗礼を受け、アドルフ・ヒトラーAdolf Hitler)と名付けられている。「イグナーツ」とは、「イグナティウス」のことであり、イエズス会創始者、イグナティス・ロヨラに肖った名の司祭からの洗礼、そして、当時のハプスブルグ帝国のカトリックイエズス会との密接な関係を踏まえると、アロイスの背景にはイエズス会の姿も見え隠れしている。
 
4)アロイスは、事実上の重婚や一夫多妻主義者で、庶子もありました。キリスト教倫理に反するこのような性格は、「黒いユダヤ人」の特徴でもある。
 
5)インターネット上の『「ヒトラーユダヤ人」説の実態』という記事によると、ニュールンベルク国際軍事裁判で絞首刑に処せられたヒトラーの側近であったハンス・フランクは、その著書、『死に直面して』という本の中で「ヒトラーユダヤ人」説に関して次のように書いている。「たぶん1930年末のある日だったと思うが、自分はヒトラーのもとに呼ばれた。ヒトラーは、彼の異母兄である若アロイスの息子ウィリアム・パトリック・ヒトラーからの手紙や新聞記事に触れつつ、『自分にはユダヤ人の血筋があるという者がいるが、調べてくれ』と依頼した。……調べてみるとアドルフ・ヒトラーの父アロイス・ヒトラーは私生児であって、その母マリア・アンナ・シックルグルーバーは、グラーツ(ウィーン南方)でユダヤ人の疑いがあるフランケンベルガー家に家政婦として雇われていた。そしてそこで赤児を生んだ。フランケンベルガーは当時19歳であった自分の息子のために、アロイスが14歳になるまで、マリア・アンナに養育料を支払っていた。フランケンベルガーとマリア・アンナの間には長年にわたる手紙の交換があったが、その手紙ではアロイスが養育料をもらう権利がある、ということが前提となっていた。私生児は母の姓を名乗るという法律に従って、アロイスは40歳のころまでシックルグルーバー姓を名乗っていた」と証言している。同記事は、1970年にアントン・アダルベルト・クラインという研究家が、ハンス・フランクの陳述を徹底検証したところ、ヒトラーの祖父とされているフランケンベルガーなる人物は、その人物の住所とされているグラーツ市の住民リストには載っていないことが判明したとして、ユダヤ人説を否定しているが、「フランケンベルガ―(フランケン城)」という苗字は、フランケンシュタインを暗喩している可能性を指摘できる。すなわち、ハンス・フランクは「ロスチャイルド家」とは明記せず、「フランケンベルガー」という苗字を用いることで、アロイスの父親がロスチャイルド家の人物であることを、読む人が読めばわかるよう示唆したとも考えることができる。
 
いずれも、状況証拠のレベルではありますが、以上の5点から、ヒトラーの父がロスチャイルド家庶子であった可能性は、強ち否定できないのではないでしょうか。

 
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(続く)