時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ノートルダム大聖堂火災の“火事場泥棒説”

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。本能寺の変とそれにともなう安土桃山上の炎上の直後、イエズス会士が、日本人から「あなた方は、本当は、泥棒であったのですね」と言われたとする記述が、イエズス会士がパリのその本部に宛てて送った書簡に見えるそうです。
 
意味不明のような言葉なのですが、本能寺の変の前夜に、本能寺には「名品」や「名物」として賞賛されていた美術品や工芸品の数々が天覧目的で集められていた点、そして、安土桃山城が、信長によって収集されたヨーロッパや日本の美術品や工芸品によって飾られていた点を踏まえますと、本能寺と安土桃山城の両火災事件には、別の側面が見えてくるかもしれません。
 
これらの美術品や工芸品は、火災によって焼失したとされております。しかしながら、仮に、焼失していなかったといたしましたならば、それは、どうなったのでしょうか。ここで注目されるのが、イエズス会の南蛮寺が本能寺に隣接していたことです。本能寺と南蛮寺は地下トンネルによって結ばれていたとする説がありますように、両寺は至近距離にあります。本能寺の変によって火災が起こった際に、イエズス会士たちは、十分にこれらの美術品や工芸品を運び出す時間があったと考えることができるのです。安土桃山城も同様であったと考えることができるのです。すなわち、両火災事件は、“火事場泥棒”を狙った計画的放火であって、その犯人は、イエズス会(フランシスコ派)である可能性を指摘することができるでしょう。
 
本年2月18日付け本ブログで「イエズス会(フランシスコ派)の武装盗賊団気質の問題」とするタイトルで扱いましたように、イルミナティーの前身であるイエズス会(フランシスコ派)をめぐりましては、その創始者のイグナティウス・ロヨラフランシスコ・ザビエルの両人が、イベリア半島バスク地方の出身であるという特徴があります。Wikipedia(日本語版)によりますと、「この頃(古代)のバスク人たちは長老会議や戦士団を持ち、女性は農業を、男性は狩猟や略奪を行った。何らかの言語を話していたが、その言語を文字にすることはな」く、そして、中世のバスク人については「ヴァスコニアは西ヨーロッパの人々によって野蛮性が強調され、「破壊者」「浮浪者」「略奪者」などと呼ばれた」そうです。
 
すなわち、バスク人の男性は、もとより集団による掠奪を生業としてきたようであり、このことも、大航海時代イエズス会(組織的な男性集団)が、「掠奪者」や「奴隷商人」と称されたことを説明していると言えるでしょう。
 
このように、イエズス会(フランシスコ派)の武装盗賊団的な性格は、バスク人気質によっても説明することができ、こうした性格は、イルミナティーの性格であるとも言うことができるでしょう。
 
このように考えますと、ノートルダム大聖堂の火災事件も、“火事場泥棒”を狙ったイルミナティー(イエズス会(フランシスコ派)の後身)の計画放火である可能性が浮上してまいります。この計画は、消防士たちが率先して美術品・工芸品の救出を行ったことから失敗したようですが、その保管と管理には要注意であると言えるでしょう(厳重な警戒が必要)。イルミナティーの窃盗の特徴は、貧しい人々に配るという口実によって、泥棒であるにもかかわらず、“正義の味方”を装うことです。同じ口実を用いて“正義の味方”の仮面を被ったアルセーヌ・ルパンの舞台こそ、まさにパリであったのですから。

 
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
 
 
(続く)