本能寺の変の真相:イエズス会フランシスコ派による朝廷制圧?
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。イエズス会フランシスコ派が本能寺の変に関与しているがゆえに、本能寺の変の真相は歴史の教科書の記述とは、まったく異なっている可能性を本ブログにおきまして指摘いたしましたところ、読者の方から、それでは織田信長はどうなったのか、という質問をコメントとしてお寄せいただきました。
憶測の域は出ませんが、私は、本能寺の変は、イエズス会フランシスコ派の意を受けた信長と光秀によって計画された朝廷制圧クーデターであったと考えております。イエズス会フランシスコ派から朝廷制圧による天下統一、一元支配を勧められた信長は、腹心の明智光秀を本能寺に呼び寄せて秘かに朝廷を武力制圧する計画を実行に移したと推測することができます。
すなわち、信長への謀反という口実で京都に入った光秀が、本能寺にて信長と合流して、京都御所を制圧するという計画であり、表向きは“信長は本能寺で光秀に討たれた”ということにして、実際には、秘かに京都御所に入った信長は正親町天皇を殺害して、自らが天皇になるという計画であったと推測することはできます。天皇は、御所の内にあり、外出することは皆無ですので、信長が天皇と入れ替わっても、御所さえ制圧していれば、誰にも気づかれることはないわけです。
このように考えますと、光秀の軍勢が本能寺に到着するまで、信長が光秀の軍勢が本能寺に迫っていることをまったく気付かなかったという極めて奇妙な点を説明することができます。信長自身の桶狭間の戦いによってもよく知られておりますように、急襲されることは戦国時代にあって常識ですので、信長が、鎧の経帷子の轟音をたてながらやってくる光秀の1万5千の兵に気付かなかったはずはないのです。
では、信長は、天皇になったのでしょうか。あるいは、天皇となったのかもしれませんが、イエズス会フランシスコ派の裏切りによって、朝廷にて討たれていた可能性もあります。本能寺の変が朝廷問題と関わっていたことは、本能寺の変後の数日の間に書かれていた公家衆の日記類が、すべて没収・破棄されたことによっても示唆されます。
また、明智光秀をめぐりましても、信長が天皇で、光秀が将軍という構想であったのかもしれませんが、イエズス会フランシスコ派の裏切りによって、豊臣秀吉が天下人となったとも推測することができます。いずれにいたしましても、“本能寺の変”という朝廷制圧クーデターによりまして、朝廷におけるイエズス会フランシスコ派の影響力は増し、幕末史にも影響を与えていたのではないか、と考えることができます。
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(続く)