独裁国と民主主義国の統合は危険
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ローマ史を教訓といたしますと、日韓併合という2つの異なる政体の2ヶ国の統合は、そもそも不可能であったがゆえに、その後の両国に大きな禍根と問題を残すことになったと考えることができます。
李氏朝鮮は、伝統的な王朝国家であり、当時の内政・外交は、国王と、国王の官僚である内閣によって動かされておりました。すなわち、近代国家と言い難い状況にあり、万人に公平たる法律も存在していなかったのです。この点、エジプトに擬えることができるのが、李朝であると言えるでしょう(今日の北朝鮮も同じようなもの)。これに対し、日本は制限選挙とはいえ、曲がりなりにも選挙制度や議会、そして、法の前の平等を一先ずは原則としていました。すなわち、その民主主義的要素において、ローマに擬えることができるでしょう。
政体が異なる大日本帝国と李氏朝鮮の2ヶ国は、李朝の国王であった純宗が、内閣を通して大日本帝国との間に日韓合併条約を締結させたことによって、統合することになってしまったのです(純宗は、軽い知的障害があったとされ、判断力が欠如していたようです。従いまして、当時の李氏朝鮮は、世襲制によってピラミッド型の統治組織のトップとなった純宗が、判断力が欠如しているにもかかわらず、日韓併合という朝鮮民族全体に関わる大きな政治的判断を下すという恐ろしい状況にあった)
当時、多くの日本国民、並びに、韓国国民が、日韓併合に反対していたと言います。ローマ史をもっとよく学んでおりましたならば、おそらく、保護国の状態を続けることが最善の策であったのではないでしょうか(国際社会は、日本による李氏朝鮮の保護国化を続けることを望んでいたにもかかわらず、“悪手”の日韓併合となったのは、イルミナティーの謀略では?)。
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(続く)