時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

国籍法と家族法の境界を壊した最高裁判所

 国籍法改正案には、認知ビジネスの懸念を始め、様々な問題点がありますが、そもそもこの問題の根源には、最高裁判所が、国籍法と家族法民法、戸籍法…)の役割の違いを識別していなかったことが挙げられるのではないでしょうか。

 国籍法とは、国民の枠組みを決める法律であり、いわば、内と外とを区別する役割を果たしています。このため、憲法第10条に明記されているように、法律によって、誰を日本国民にするのかを”選別”できることなります。法律によって国民の要件を定めるスタイルはどの国でも同じであり、このこと自体は差別ではありません。つまり、国籍法とは、国民を決め、かつ、”選別”することを目的としているのです。

 一方の民法や戸籍法に基づく戸籍の管理は、”選別”を目的としているわけではありません。家族という自然な集団の秩序を法律で律しているのです。家族は、親子や兄弟姉妹によって構成されているため、完全な平等原則には馴染みません。また、本件で問題となったように、嫡出子と婚外子それぞれの権利を定めることも家族法の役割であり、それは、国民一般の家族観に基づいています。

 このことから、国籍法と民法…とでは、果たしている役割が全く違うことが分かります。しかしながら、最高裁判所は、外国人の婚外子裁判において、二つの誤りを犯したと思うのです。そのひとつは、もちろん、国籍法と民法の役割を区別しなかったことであり、もうひとつは、本来、完全に平等原則を導入することが不可能な家族法の分野において平等原則を徹底させようとしたことです。この二つの誤りが合成された結果、国籍法において、家族法の平等原則が求められるという(本来争うべき家族法では訴訟になっていない・・・)、極めて奇妙な判決となってしまったのです。

 家族法の論理を国籍法に持ち込んだがために、結果として、国籍法は、”選別”の役割を果たせなくなりました。しかも、国籍法でいう”認知”は、家族法上の”認知”と同一視され、それが意思主義に基づくとなりますと、認知により、全ての国の子供達に対して無制限に国籍を付与できるという、とんでもない内容の法律となってしまったのです。これが、認知ビジネスなどの犯罪の温床になったり、安全保障上の懸念をもたらすことは言うまでもありません。

 国籍法改正案については、最高裁判所の判決の見直しから始める必要がありそうです。十分な議論も審議もせず、また、国民の不安を抱えたままで本法案を可決してはならないと思うのです。

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