時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

幕末史と太平天国の乱は繋がっているのか?

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ペリーによってマカオにて日本語通訳として雇われることとなったアメリカ人宣教師ウィリアムズは、広州で『勧世良言』の出版を通して布教活動を行っており、洪秀全はこれに感化されて太平天国を組織したと考えられますが、その後広州にて、I.J.ロバーツというアメリカ人宣教師に教えを請うてもいます。
 
昨日述べましたように、マカオキリスト教組織が世界支配志向勢力と密接な繋がりがあると想定いたしますと、米国政府の開国要求の影で、もう一つの開国要求、すなわち、フリーメイソンであったペリーを通して、世界支配志向勢力の意向を受けた別の、そして秘かなる‘開国要求’があった可能性を指摘することができます。本ブログにて指摘させていただきましたイエズス会の以下の世界戦略は、幕末史を考える上で、考慮しなければならない問題です。
 
1)王室を断絶させるか、偽者にすり替え、操り人形、傀儡の人物に権力を集中させる(独裁化)。
2)王族の中で最も御し易い人物を選定して教育を施し、宮廷クーデタを起こさせて王位に就かせる。
3)現地国民の中から自らの手先となる人物を一人、または、数人を選定し、有力者に育てた上で王朝交代、あるいは、新政権を樹立させる。
4)宗教等を利用して、現地国民の中の特に最下層民や不満層を組織し、国家破壊活動に従事させ、内乱、あるいは、革命を起こさせる(武装に際しては、武器を提供)。
5)既存の民族国家には別の民族を送り込み、権力を与えて新たな支配階層とし、間接支配する。
6)内乱、あるいは、戦争を誘発し、両者を巧みに操りながら双方から利益を得たり、混乱に乗じて支配的権力を握る。
  
太平天国の乱は、まさに、この世界支配志向勢力の戦略どおりに展開しております。1851年に金田村において拝上帝会は国号を太平天国とし、洪秀全は自身を天王(てんのう)と称しております。天王位に登ったことから、この日は「登極節」というそうです。さらに、太平天国は、水陸両軍を編成して長江を下り、1853年319(咸豊元年218)に江寧(南京)を陥落させ、ここを天京(てんけい)と改名し、太平天国の王朝を立てるのです。
 
太平天国の乱は、1864年に英国陸軍の支援を受けた清朝によって鎮圧されますが、一連の動きは、朝廷内の混乱(孝明天皇暗殺と天皇すり替えの可能性…)、江戸幕府薩長連合間の戊辰戦争といった経緯を想起させるものとなっているのではないでしょうか。すなわち、米国の一国家としての開国要求に、世界支配志向勢力の利益追求が盛り込まれることになったと推測することができ、ペリーの来日を機に、激動の幕末史が幕を開けることになったのです。
 
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(続く)