時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

聖職者の自己矛盾による文明破壊活動

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨日指摘いたしました点から、キリスト教徒やユダヤ教徒の非嫡出子たちは、イスラム教や偽ユダヤ教徒となる場合があったと推測することができます。しかしながら、改宗はそうたやすくできることではありませんので、内面的には、‘隠れイスラム教徒’や「黒いユダヤ人」たちの信奉する「偽ユダヤ教」の‘隠れ偽ユダヤ教徒’となりながら、キリスト教徒であり続けた非嫡出子の方がむしろ多かったことでしょう。そして、キリスト教世界に深刻な問題を齎したと考えることができます。
 
まず、教会の腐敗問題について考えてみることにしましょう。親の都合によって政略的にキリスト教の聖職者とされた非嫡出子は、深刻な自己矛盾に陥ったと推測することができます。自らは、婚外子という‘罪の子’であるにもかかわらず、信者に対しては婚外子をもうけることが如何に重い罪であるのか、如何に動物的であるのかを説き、非嫡出子の存在を否定し続ける聖職者の立場となるからです。
 
このような状態にあった非嫡出子の聖職者の自己矛盾は、キリスト教において異端や腐敗を生じさせる原因となったと推測することができます。異端は、2つの方向に向かったと考えることができます。一つは内向型異端であり、自らに鞭打ったり、自らに罰を加えることで、その罪の重さを解決しようとする方法です。自殺行為であるとも言えるでしょう。もう一つが外向型異端であり、周囲への復讐ということになります。この方向では、世界を自らと同じような境遇の世界に変えようというインセンティヴが働くことになります。その典型例が、フランシスコ会イエズス会内の親フランシスコ派であったと推測することができるのです。これらの両派は、表面的には聖職者として振る舞いながら、真の目的を隠しながら、あの手この手で世界を自らと同じような境遇の世界、すなわち、非文明的で動物的な世界に変えようと攻撃的な活動を展開することになるわけです。
 
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(続く)