『アンネの日記』の普及にはユダヤ教的意味がある?
今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。「黒いユダヤ人」政権とも言えるナチス・ドイツ政権が、「白いユダヤ人」と「黒いユダヤ人」を峻別しており、アシュケナージ系ユダヤ人を含む「白いユダヤ人」を過酷な強制収容所に送り、一方、「黒いユダヤ人」は、「強制収容所」というのは名だけの実質的避難所に送るなど、優遇措置を採っていた可能性について昨日指摘いたしました。この問題は、『アンネの日記』の問題とも関連しているかもしれません。
アンネ・フランクAnnelies Marie Frank (1929年6月12日 - 1945年3月上旬)が、執筆したとされる『アンネの日記』には、贋作説があります。その根拠は、厳しいナチス・ドイツの支配下において凡そ2年という長きにわたって、8名もの人々が隠れ家生活を送れたわけはない、という点にあります。しかしながら、ナチス政権が、実際には「黒いユダヤ人」政権であったことによって、このような隠れ家生活が可能であったことは説明されえるのではないでしょうか。
アンネの母親のエーディト・フランク(旧姓ホーレンダー)は、セファルディ系ユダヤ人、すなわち、「黒いユダヤ人」であったとされています。このことから、セファルディ系のユダヤ人は、‘大目に見られていた’と考えることができるのです。
従いまして、『アンネの日記』はおそらくは真作なのでしょうが、謎が無いわけではありません。それは、アンネの誕生日が、6月12日であり、その日記も6月12日から書き始めていることです。本ブログにおきまして、再三にわたって述べておりますように、0、1,2、6の数字から構成される今年、すなわち、西暦2016年は、『旧約聖書The Old Testament』「ダニエル記The Book of Daniel」や『新約聖書The New Testament』「暴露録(黙示録)The Revelation」のエニグマ的な法則、すなわち、「0・1・2・6の法則」からしますと、最後の審判の日の有力候補となる年代のひとつであり、人類にとりまして、おそらく重要な年となると予測される年代です。月日をめぐりましても、これらの0、1、2、6の数字から構成される月日は、要注意の月日です。また、アンネの姓名が”フランク”であることも気にかかるところです。
『旧約聖書The Old Testament』は、ユダヤ教の経典でもありますので、この数字の法則を踏まえますと、6月12日を誕生日とするアンネの日記が全世界的に普及させたことには、何らかの意味が込められているのかもしれません。
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(続く)