時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ホロコーストの真偽問題は‘ユダヤ人’の内部分裂問題から解明できる

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨今、第二次世界大戦中、ナチスドイツによるユダヤ人600万人の大量虐殺、すなわち、「ホロコースト」はあったのか、無かったのか、が世界的に議論の的となっているようです。
 
 ユダヤ人’の間には、主に構成する民族の違い、信仰の違い(『旧約聖書』の解釈の相違、特に、『モーゼの十戒』を守るか、守らないか)を基準に、「白いユダヤ人」と「黒いユダヤ人」という2種類の‘ユダヤ人’があったという観点から検証を加えることは、この問題の解明に、大いに役立つかもしれません。

本年6月19日付本ブログにて、ナチス・ドイツの幹部の実に60%は、‘ユダヤ人’であり、アドルフ・ヒトラー自身も、その遺伝子を解析した結果、北アフリカ地域の人々と同じ遺伝子を保有していることが明らかとなり、「黒いユダヤ人」であった可能性があると述べました。ヒトラーの愛人であったエヴァ・ブラウンEva Anna Paula Braunも、ユダヤ人であり、「ブラウン」という「コードネーム」とも解せるイルミナティーの好む氏姓から、「黒いユダヤ人」の国際組織であるイルミナティーのメンバーであったと考えることができます。さらに、ヘルマン・ゲーリングの父親は‘ユダヤ人’であり、ヨゼフ・ゲッペルスの母のマリア・カタリナ(Maria Katharina, 旧姓オーデンハウゼン (Odenhausen))はオランダ人鍛冶屋の娘でフリードリヒとの結婚前にドイツ国籍を取得した女性であることから、セファルディー(黒いユダヤ人)であった可能性があります。

この点から、ユダヤ人がユダヤ人を迫害した、という奇妙な状況が推測されてくることになり、非ユダヤ人がユダヤ人を迫害したという意味での「ホロコーストは無かった説」を裏付けることになるかもしれません。
 
一方、多くの‘ユダヤ人’、特に『夜と霧Mans Search For Meaning』の著者であるヴィクトール・フランケル氏に代表されるように、生き残った人々は、自身の体験などをもとにホロコーストの惨状を語り、「ホロコーストはあった説」を後押ししていると言えます。では、この人々は、嘘吐きであるかと言えば、そうではなく、憶測の域は出ませんが、「強制収容所concentrating camp」には、以下の二種類あったのではないか、と推測することができるのです。
 
①「白いユダヤ人」に強制労働をさせるためのキャンプ:結果的に多くのアシュケナージユダヤ人が病気や衰弱により死亡。あるいは、戦争末期には、証拠隠滅のために虐殺された。
②「黒いユダヤ人」の避難所としてのキャンプ:ナチス・ドイツが、「ユダヤ人であるがゆえに強制収容する」という名目で、実際には、セファルディ系の「黒いユダヤ人」のみを、戦禍から避難させるために設置していたキャンプ。当キャンプでは、「黒いユダヤ人」たちは、安逸に暮らしていた。しかし、戦争末期に補給が途絶えたことから、結果的に、多くの「黒いユダヤ人」も病気や衰弱により死亡。
 
「黒いユダヤ人」政権であったナチス・ドイツは、「白ユダヤ人」と「黒いユダヤ人」を峻別しており、「白いユダヤ人」のみに過酷な運命を与えたと推測することができるのです。ヴィクトール・フランケル氏は、著書の序文において、一家が通っていたシナゴークが破壊された際に、その壁にかかっていた『モーゼの十戒』のレリーフの破片を、父親が大事に拾い、手元に置いていたというエピソードを記しており、このことから、強制収容所で非人道的で残忍な扱いを受けた氏の通っていたシナゴークが、「白いユダヤ人」系のシナゴークであったことがわかります。ホロコーストとは、①のキャンプにおいて行われたことであり、ガス室での大量虐殺や被害者数600万説が大いに怪しいにせよ、多くの犠牲者があったと考えることができるではないでしょう。
 
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(続く)