時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

アスリートにとって酷な東京オリンピック開催

  東京オリンピックは、世界各国からの選手団を招いた形で開催される方向で調整されているようです。アスリートにとりまして、‘朗報’であるかのように見えるのですが、果たして、東京オリンピックの開催はスポーツ選手にとりまして、手放しに喜ぶべきことなのでしょうか。

 

 それは、IOCの見解などから、来日にあたって選手には、事前にワクチンの接種が求められるようであるからです。すなわち、ワクチン接種を条件に選手は、東京オリンピックに参加することができるのですが、そのワクチンには、重大な中長期的なリスクがあるからです。

 

 医科学的見地からの遺伝子ワクチンの中長期的副反応に加えて、インターネット上にも、政治的陰謀論として、様々なワクチン接種の危険性が指摘されておりますように、‘ワクチン陰謀説’は、既に‘社会現象’となっております(ワクチン接種者は、皆5年以内に死亡するとする説もある)。このように、その危険性は、相当の情弱者でない限り周知の事実ですので、選手の方々もワクチン接種の危険性について知らないはずはありません。ワクチンの安全性は、数年後、数十年後でなければわかりませんので、現時点で、「ワクチンは安全である」とは誰も断言できないのです。特に、IOCは、中国製ワクチンの接種を選手に求めているとされておりますので、副反応のリスクは、かなり高まっているとも言えます。

 

 この点を踏まえますと、選手の方々は、数年後には、自らの選手生命や生命を失うかもしれないリスクを重視して、東京オリンピックへの出場を諦めるか、もしくは、リスクを承知で参加するのか、という酷な選択を迫られていることになります。ワクチン接種は任意であり、ワクチンを接種したがゆえの将来における副反応の発症につきましては、自己責任となりますので、選手にとりまして、その判断は、さらに難しいということになるでしょう。

 

 オリンピックへ参加するか否かの最終的な判断は、選手個々人に任せられることになるのでしょうけれども、その結果は、事実上の東京オリンピックの中止を齎す可能性も指摘することができるかもしれません。選手の大多数が、ワクチン接種して東京オリンピックに参加よりも、自らの選手生命や生命を重視して、ワクチンの非接種を選択した場合、東京オリンピックは成り立たなくなるのですから。

 

果たして、選手たちは、どのような選択をするのでしょうか。