時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

中韓への感情配慮は泥沼化への道

 安倍首相の靖国神社訪問に対して、中韓からの反発は予測の通りですが、両国とも、事あるごとに”歴史認識”の大合唱を繰り返しています。しかしながら、昨日のブログでも指摘したのですが、第二次世界大戦の軍事裁判の蒸し返しを許してはならないと思うのです。

 東京裁判には問題点は多々ありましたが、少なくとも、司法制度では、法廷に立たされた被告人が裁判官から判決を受け、言い渡された刑に服することで、罪状に対する責任は完全にとったものと見なされます。つまり、判決が”判例”となったり、英米法において”判例法”となることはあっても、将来において、服役者に対して何らかの”刑”や”拘束”を求められることはないのです。ところが、中韓は、A級戦犯を宣告された人々が、自らの命を以って責任をとったにも拘わらず(勝者による敗者に対する裁きであったとしても…)、国民感情を理由に、日本国に対して、公人の靖国神社参拝の停止を求めています。これでは、裁判による区切りは無意味になりますし、永遠に罪を問われ続けることになるのです(中国大陸や朝鮮半島に残る死者の墓を暴く慣習と同じでは…)…。

 裁判が、物事の最終的な解決手段となるのではなく、逆に、”歴史問題”を引き起こしている現状は、本末転倒も甚だしいと言わざるを得ません。中韓の感情配慮の要求に応じることは、むしろ、対立を泥沼化するとだけなのではないかと思うのです。

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