時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

京大私服警官取り押さえ事件―大学にはテロ活動の自由はない

 先日、京都大学構内で、大学生が私服警察官を取り押さえるという事件が発生しました。マスコミやネットの一部では、当学生を英雄視する論調も見られますが、この行為、批判されこそすれ、擁護すべきことではないと思うのです。
 
 当学生を擁護する側の見解によりますと、警察は、憲法第23条に定めた学問の自由にも反し、一方的に”大学の自治”を侵害しているそうです。しかしながら、大学の自治とは、学問の自由から派生しており、その根源を辿りますと、かつて権力の側が自由な学問研究を国民に許さず、学者や研究機関を弾圧してきた忌まわしい時代に行き着きます。つまり、現在の中国、韓国、北朝鮮の如く、学問に対して抑圧的な権力に対する防波堤として、国民に対して学問の自由が保障されているのです。ですから、今回のケースのように、テロ活動や破壊工作活動の取締の一環として警察が大学に立ち入る場合、学問の自由を盾に拒否できるのか、あるいは、実力で排除できるのか、と申しますと、それは、できないのではないでしょうか。学生達は、純粋なる学問ではなく、反社会的な活動に従事しているのであり、他者の自由を認めるどころか、暴力を手段として他者の権利や自由を奪うことを信念として容認しているからです。
 
 学問の自由や大学の自治をテロや破壊活動の隠れ蓑にしてはならず、この事件に関しては、学生こそ批判を受けるべきです。むしろ、大学が革マルといった暴力主義組織の活動の場となっていることこそが、真の学問の自由の阻害要因となっているのではないでしょうか。
 
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