三笠宮殿下薨去の年月日と聖書の「0・1・2・6の法則」
今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。0、1,2、6の数字から構成される今年、すなわち、西暦2016年は、『聖書』の「ダニエル記The Book of Daniel」や「暴露録(黙示録)The Revelation」のエニグマ的な法則、すなわち、「0・1・2・6の法則」からしますと、最後の審判の日の有力候補となる年代のひとつであり、人類にとりまして、おそらく重要な年となると予測される年代です。月日をめぐりましても、これらの0、1、2、6の数字から構成される月日は、要注意の月日であり、去る10月26日は、要注意の月日であったことになります。10月26日は、何事もなく過ぎましたが、翌27日に、三笠宮殿下が薨去されました。
この1日のずれは、聖書の「0・1・2・6」の法則におきましては、許容範囲となります。例えば、「ニュートンの予言」によりますと、「最後の審判の日」は、2060年であり、「0・1・2・6」の法則は、成り立たないように見えます。しかしながら、ニュートンの時代に、英国では、新年の元日を、1月1日とする「新法the New Style」と、イースターとする「旧法the Old Style」が併存していたことから、一年のはじめをいつと見なすのかによりまして、前後1年のズレが生じるのです。すなわち、ニュートンは、新法と旧法のいずれで、2060年という結論を導いたのかは、不明であり、新法にもとづく2061年の1月1日からイースターの日までは、旧法にもとづきますと2060年なのです。
月日につきましても、同じことが言えます。時差とサマータイムによりまして、前後1日のズレが生じるのです。日本では、10月27日の時間帯でも、10月26日の時刻となる国々は多くあります。最後の審判の日をめぐりましては、ある地域の夜が、ある地域の昼であったり、また、その逆であったりすること、すなわち、時差があることが、何か特別な意味を持っているのかもしれません。
三笠宮殿下の薨去と最後の審判の日との関連は、未知数ですが、大正、昭和、平成の時代の生き証人でもあられ、歴史の研究におきましても、多くの業績を残されました三笠宮殿下のご冥福をお祈りいたしたいと思います。
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(続く)