時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

悪用されたユダヤ思想と天命思想

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ネオ・ユダヤ組織にとりまして、中国の思想、そして、それにもとづく政治体制をモデルとする理由につきまして、以下の点も指摘することができます。
 
中国大陸では‘誰でも皇帝’である理由は、皇帝位の正当性が、天命思想という政治倫理思想に由来していることにあります。天命思想とは、「天帝(神様のような存在)は、悪政を敷いている皇帝を、天意を失ったとして排除し、善政を行えるような徳の高い人物に天命を下し、新たな皇帝となす」という思想です。天命思想は、『聖書』「旧約聖書」の思想に近いと言うことができます。預言者サミュエルは、ヘブライ王国の第一代目の王、サウルが悪政を敷いたため、天意を失ったとして、ダビデを新たな王となしているからです。
 
このように天命思想は、本来は、国民本位の思想であり、国民を苦しめるような独裁者を排除し善政を実現するための思想なのですが、やがて、この思想は、盗賊や海賊出身の皇帝を正当化する思想に変質します。その理由は、本当に、「天命が下った」のか、それを誰も証明できなかったことにあります。一般的に、「天命が下った」ことの徴は、珍しい気象現象や動物などの祥瑞の出現によって人々に知らされるとされているため、この点が悪用され、盗賊でも海賊でも”偽祥瑞”さえ演出すれば、皇帝になれる、ということになってしまったのです。中国大陸では、法律でも、宗教でも、すべては、‘自己正当化のために用いてもよい’という考え方があるようですので、天命思想の悪用は容易に行われ、独裁・専制体制の正当化に使われるようになってしまったのです。
 
ユダヤ人社会でも同様のことが起こったようです。本来の選民の基準は、「人々に善政を敷くことのできる人々である」という意味なのですが、後からユダヤ教に改宗したネオ・ユダヤ人組織によって選民思想は都合よく解釈され、独裁・専制体制の正当化に使われているのですから。ユダヤ思想と天命思想には、本来は、人類により良き世界をもたらすために誕生しながら、その後、支配勢力に悪用されるという共通項もあるようなのです。

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(続く)