時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

モンゴル思想の残虐性-侵略の肯定

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。3月8日付本ブログにて、モンゴルが急速に拡大した理由として挙げた10点のうち、今日は、「9)徹底した殲滅作戦を実行した(モンゴル軍の侵略を受けた国々では、国土は焦土と化し、人々は殺戮されるか奴隷となった)」について考えてみることにしましょう。
 
チンギス・ハーンの残酷なメンタリティーにつきましては、昨日述べましたが、このような思想のもとに、1236年に、チンギスの孫のバトゥ・ハーンによって総大将に任命されたスボタイの率いられたモンゴル軍が、ヨーロッパに侵入してくることになります。バトゥが、ヨーロッパの征服を目指した理由は、チンギスが、その軍隊と広大な征服地を子や孫に譲り渡すこととし、バトゥには、北西の方角に向かって「as far as the hooves of a Mongol pony can take him(モンゴル馬の蹄が、バトゥを連れてゆくことのできる)」すべての土地を割譲することとしたからです。すなわち、強欲なバトゥは、北西方向に征服すればするだけ、自分の領土となるわけですので、ヨーロッパ侵攻を企てた、ということになります。侵略・蹂躙される側を一顧だにしないモンゴル思想が、いかに自己中心的で、尊大・傲慢、そして残虐であるのかを示しておりますが、果たして、モンゴル軍は、「Subotai’s policy to leave in his rear no organized groups of peopleor nations(住民や国民による組織的集団を一つだに残さないことで向後の憂いを断つというスボタイの作戦)」によって、侵入地の住民を虐殺してゆくのです。

すなわち、モンゴル軍が通過した後には、累々たる死体の山が築かれ、当時にして、1億8千万人もの人々が、モンゴル軍によって殺害されたとされておりますことは、モンゴルの思想が、人類の危機とも言えるほど、如何に危険な思想であるのかを示していると言えるでしょう。

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(続く)