時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ユダヤ・イスラム・イエズス会・遊牧民族の共通点

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。元‘ユダヤ教徒’であった可能性が極めて高いロバートMaster Robertが、カトリックの下級聖職者として在籍していながらイスラム教とも近い関係を保ち続けていたことは、カトリック内部にも、イスラム教と近い関係にある宗派や人々があったことを示唆しております。
 
イスラム教が広がっていた中近東地域におけるキリスト教宗派であるマロン派が、イスラム教と近い関係にあることは4月14日付ブログで述べましたが、イエズス会創始者であるイグナティウス・ロヨラも、あるいは、イベリア半島に広がっていたこのような親イスラム系のキリスト教宗派の一員であったと推測することができます。イベリア半島は、7世紀に後ウマイヤ朝によって征服され、15世紀まではイスラム圏に属しておりました。このことから、イベリア半島キリスト教は、イスラム教の影響を受けて変質していたと推測することができるのです。
 
ロヨラが、イエス・キリストの像ではなく、‘黒マリア’の像を祭って崇拝していたことも、このような推測を補います。ところで、7世紀の中国大陸でも、遊牧民鮮卑族唐王朝(618~907年)を建てますが、唐の高宗は、老子無為自然思想(道教)、すなわち、非文明思想を好み、老子を「太上玄皇帝」と諡号して崇拝していました。「玄」は「黒」を意味しますので、高宗は、ロヨラと同様に、‘黒い人’を拝むというカルト的な思想を有していたことになります。唐朝中期の「玄宗」も、黒い帝という意味となるでしょう。そして、イスラム教の聖地メッカには、カアバ神殿に黒石が据えられており、全イスラム教徒から聖石として崇められているのです。
 
ロヨライエズス会、高宗や玄宗の唐朝、そして、イスラム教との共通点は、それぞれ時代は違えども、暴力主義的拡張主義にあります。イエズス会と唐朝は、全世界の征服を試みました。我が国が、唐朝の暴力主義的拡張主義を阻止するために、百済に援軍を遣わし、白村江の戦いに臨んだことはよく知られております(玄宗も、日本侵略を計画していたと推測されます)。
 
‘黒崇拝’という思想と暴力主義的拡張主義との関連は未詳ですが、イスラム教も、国境の概念を持たない遊牧民族の間に起こった宗教であることと何か関連があるのかもしれません。現在の法王であるフランシスコⅠ世は、カトリック初のイエズス会出身者であり、イスラム教徒の移民の受け入れを各国に求めていることに、カトリック内部における親イスラム教勢力の存在を窺うことができるかもしれません。

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(続く)